Ⅳ壬生城 その遺構を探る

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壬生城本丸跡

 近年、発掘調査により、かつての壬生城からは、多くの遺構(建物・井戸)が確認されている。特に総合会館建設・城址公園整備に先立つ本丸・二の丸跡の調査では興味深い成果が得られている。
 壬生城本丸・二の丸跡の発掘調査は、昭和59年9月から62年10月まで行われた。
 この調査では本丸のほぼ全域に当たる約27,000m2が対象とされた。広い調査区からは室町時代から江戸時代に至る多くの遺構が確認されたが、中でも、江戸時代の遺構からは当時の絵図や記録との対比によって興味深い成果が得られた。
 
 
壬生城本丸内調査区全体図

本丸跡全景

 本丸跡の発掘調査は、壬生城址公園整備に先立ち昭和60年4月から6月まで行われた。約2,500m2ほどの調査区からは堀、柱穴、土坑、井戸、方形竪穴などの多くの遺構が検出された。
 
 
 
1)本丸跡の遺構
堀跡(SD-004)

 堀は南北に走る大堀で、幅約11m・深さ5m・断面は「v」字状をしている。堀は絵図にも描かれていない堀であり、発掘調査によって初めて存在が確認された。埋土中からは土器(かわらけ)等が出土している。出土品から壬生氏当時の堀と考えられる。
 
 
東門跡(SB-005)

 東門は、壬生藩主加藤佐渡守家(元禄8年~正徳2年)の「絵図」に描かれている。発掘調査によって東門が存在することがわかった。東門の規模は、間口が12尺(柱穴の堀方約1.2m、深さ約0.5m)である。柱穴の底には、柱の沈下を防ぐため瓦を土台として使用している。
 
 
本丸堀・二の丸跡トレンチ配置図

 本調査は、昭和62年7月から10月まで行われた。本丸堀の調査区では、堀・土塁の構築状況が明らかになり、二の丸跡の調査区では、絵図のとおり「横矢」の部分を確認することができた。
 
 
本丸東側の堀・土塁と杭(第4T)

 東側の堀では、立杭が並んで検出された。杭の間には横木を渡して、堀及び土塁が崩れないよう土留めしていたものと考えられる。
 
 
本丸西側の堀と土留めの横木(第2T)

 
 
 
2)二の丸跡の遺構
土坑(井戸)跡

 二の丸跡より検出された土坑であるが全容を明らかにすることはできなかった。円形の落ち込みのまわりは、らせん状に階段がっくられており、人の往来がかなりあったらしく固く踏みかためられている。埋土中からは陶磁器、土器、釘、キセル、古銭、銅皿等が出土した。土坑は形態的には、地下水の低い武蔵野台地にみられる井戸(「まいまいず井戸」)に類似する。