人を表現した埴輪の出現は比較的遅く5世紀後半から作られ始め、6世紀に盛行する。女子像は人物埴輪の中で最も早く成立し、古墳の葬祭には女性(巫女(みこ))が重要な役割を果たしている。女子像の表現方法は、服装は衣(ころも)と裳(も)を着用し、頭髪は潰(つぶ)し島田髷(まげ)の結髪である。
栃木の女子像に眼を転じると、巫女と性格を規定できないが宇都宮市綾女塚古墳や足利市葉鹿熊野古墳の女子像は巫女に仕える女官と考えられる。頭に壷を載せる女子像としては、小山市摩利支天塚古墳出土例は、葬祭に欠かすことのできない酒を巫女のところに運ぶ姿であろう。自由な作風を示すものとしてよく知られる真岡市鶏塚古墳出土の子守りする女はともかく全国唯一の造形である。母の慈愛の表現はともかく、赤子を背負って葬祭に加わったのだろうか。栃木市狩岡古墳出土の踊る女は、歌舞音曲を示している。