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16.女子頭部 小山市桑54号墳 現存高:18.0cm |
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17.大きな髷(まげ)の女 鹿沼市深津愛宕塚古墳 現存高:22.6cm |
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18.化粧した女(市指定文化財) 小山市絹4号古墳 現存高:11.5cm |
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西赤掘狐塚古墳埴輪配置図 (『西赤堀狐塚古墳』より転載) |
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19.竪櫛(たてぐし)を差す女 上三川町西赤堀狐塚古墳 現存高:16.0cm |
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20.竪櫛(たてぐし)を差す女 上三川町西赤堀狐塚古墳 現存高:13.5cm |
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▲形象埴輪出土状況 |
■西赤掘狐塚古墳の埴輪配列
西赤堀狐塚古墳は河内郡上三川町に所在する。本古墳は二段築成の前方後円墳であり、規模は全長41m、後円部径35m、前方部幅30mの大きさである。本古墳の特徴としては、幅広い第1段目テラスが囲繞(いじょう)していることや、前方部が後円部より著しく低いことが挙げられる。このような特徴をもつ古墳は、栃木県南部地域に多く分布している。本古墳の主体部は奥壁に凝灰岩を用いた横穴式石室で、くびれ部よりやや前方部寄りに位置する。古墳のまわりには、幅7mの周湟が巡っているが、周湟は南側と北側では相似形でなく、石室を意識しているためか、石室前庭部側(南側)がやや広い。
本古墳からは円筒埴輪と形象埴輪が出土している。埴輪はテラス上面からみつかった。円筒埴輪は後円部から南側くびれ部にかけた7か所で樹立位置がわかった。形象埴輪としては、人物4体、馬1体以上、靭(ゆき)5個体以上、翳(さしば)2個体以上、盾(たて)2個体以上が認められた。このうち人物埴輪は石室入口の東側に4本樹てられていたことがわかり、石室に近い西側から、女子、女子、男子、男子、の順に1列に並んでいた。列東端の男子は墳丘側(北側)を背にして、周湟側(南側)を向き、他の3体も同じように樹てられた可能性がある。さらに、これら人物埴輪群の東側では馬の破片が集中していたことから、この位置に馬が人物埴輪群に続いて樹立されていたものと想定できる。器財埴輪については、基部が遺存しないため樹立位置を判断し難い。本古墳の埴輪配列は人物埴輪群の位置を見るかぎり、石室入口前庭部を意識したものと言えよう。
本古墳の築造時期は石室、遺物から6世紀後半と考えられる。
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葉鹿熊野古墳人物埴輪配列復元図 (『塚廻り古墳群』群馬県教育委員会より転載) |
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21.童女(市指定文化財) 足利市葉鹿熊野古墳 現存高:31.5cm |
■葉鹿熊野古墳の埴輪配列
熊野古墳は、足利市葉鹿町に所存する葉鹿古墳群中の円墳である。昭和4年(1929)3月、山林を開墾中に確識された。古墳は直径約7間半(約13.5m)、高さ約2間(約3.6m)で、石室の蓋石と認められる石が露出していたと記されている以外、石室の構造や副葬品など詳細は明らかでない。
当時、熊野古墳の調査に当たった島田貞彦は、内藤政光が撮影した埴輪出土状況の写真を掲載し埴輪配置の復元に努めている。復元図の通り、左端の箱状の台部の中に落ち込んだ「二人童女」、その右方は上げ美豆良(みずら)の男子(農夫)、天冠をかぶる男子、一つおいて靱負の脚台部と続き、横穴式石室の前庭に到り、形象埴輪列は切れる。が、またその右方には馬形埴輪、円筒埴輪(形象埴輪の基部?)が樹立されている。
なお、熊野古墳では山寄せ式のため谷側の横穴式石室開口方向にのみ、形象埴輪は樹立されたらしい。
類似した人物埴輪「童女」が群馬県高崎観音山古墳から出土している。
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22.盛装した女(複製) 真岡市鶏塚古墳 現存高:30.7cm |
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23.裸の女(複製) 真岡市鶏塚占墳 現存高:45.2cm |
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24.子守りする女(複製) 真岡市鶏塚古墳 現存高:41.2cm |
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鶏塚古墳人物埴輪配列復元図 (『真岡市史』第1巻考古資料編より転載) |
■鶏塚古墳の埴輪配列
鶏塚古墳は、真岡市京泉に所在するシトミ原古墳群中の最大の円墳(県指定史跡)である。現在では、畑地の開墾によってかなり原形を損じているが、東西22m・南北18m・高さ2.8mほどである。昭和5年と6年に墳丘西側の発掘調査によって、形象埴輪群が二列に並んだ状態で検出された。埴輪の基底部は現位置にあり、一列に6個ずつ計12個が配列されていた。同基底部は現地表下約1mの位置にあり、埴輪間の間隔はいずれも等しく45~46cmであった。埴輪は墳丘の中段よりやや下位から出土しており出土位置は石室入口の左方である。前列では、基底部は後列と同様6個であるが、7個体分の出土が知られている。埴輪の配列は人物像が右側、すなわち石室よりに立ち鶏形埴輪が左側に置かれている。石室入口右方にも、左方と相対する位置に左方と同様に二列の埴輪群が配列されていたと思われるが、現在ここは畑地となってしまい、確認することができない。横穴式石室入口の左群として出土した埴輪は、女子像、男子像、鶏形埴輪などである。女子像は最も多く、子守り裸像1体、裸像2体、上衣を着用して服飾品をまとった女子3体の計6体である。男子像は2体で、弾琴の男子像と裸像とである。鶏形埴輪は4個出土しており、完存しているものが1個ある。鶏塚古墳のような小円墳から、このように多種多様の、そして、それぞれ特色ある形象埴輪が出土したことは、極めて稀な例である。
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25.頭に壷をのせる女 小山市摩利支天塚古墳 現存高:28.4cm |
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▲形象埴輪出土状況 |
■摩利支天塚古墳の埴輪配列
摩利支天塚古墳は、小山市飯塚にあり思川と姿川の合流地点から約1km程北方の台地上南端に位置しています。
本古墳は、昭和55年から57年にかけて環境整備の一環として発掘調査された。
南西に面して築造された前方後円墳で前方部は「剣菱形」と呼ばれる特異な形をしている。周湟は二重に巡り、周湟まで含めた古墳の全長は約197m、最大幅166mを測り、広い兆域を形成している。また、円筒埴輪を中心に、人物・馬などの形象埴輪が出土しており、円筒埴輪列は第1段築造面に規則性をもって配列されている。
人物埴輪は、前方部の西側コーナー付近の周湟内から出土した。人物埴輪は頭頂部を北に、顔面部を西に向け周湟底に接した状態で発見された。古墳の形態上の特色や円筒埴輪の示す年代観から5世紀末から6世紀初と考えられる。
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26.大きな髷(まげ)の女(複製) 宇都宮市綾女塚古墳 高:87.5cm (原資料重要文化財・原色図版参照) |