齋藤家一族の墓

読み:さいとうけいちぞくのはか
 地図24


種類町指定史跡
指定年月日平成8年4月23日
所在地本丸1-1-30
所有者・占有者常楽寺
墓碑7基

 齋藤家は、梁田郡羽刈村の出身で、3代(初代玄正、二代玄昌、三代元昌)にわたり、壬生藩鳥居家の侍医(藩医)を勤めました。特に、二代玄昌は蘭方(西洋)医学を修め、天保11年(1840)12月に石崎正達らと壬生上河岸の刑場で刑男屍の解剖を行い、その記録『解体正図』(町指定有形文化財P.29)を出版。嘉永3年(1850)2月には領内で、強制的に種痘を行いました。
 晩年は、子弟育成のための私立学校の経営を企画しましたが、それを果たせぬまま明治5年(1872)5月に64歳で亡くなりました。
 齋藤家一族の菩提所は常楽寺です。二代玄昌の墓碑に「弘種痘於国内」とあり種痘をひろめたことが確認できます。