金売り吉次の墓

読み:かねうりきちじのはか
 地図29


 
所在地上稲葉字吉次内

 鎌倉時代の初めに、源義経に仕えていた金売り吉次は、義経とその兄頼朝の間が不仲となり、義経が奥州へ逃げのびる際にお伴をしてきましたが、この稲葉の地で生涯を終えました。
 里人たちにより、吉次の墓とともに吉次の守護仏である観音様と金比羅様を祀ったお堂(墓の東に現存)が建てられたと言われています。
 また、江戸時代『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、
 「壬生ヨリ楡木ヘ二リミフヨリ半道ハカリ行テ吉次ヵ塚右ノ方二十間ハカリ畠中ニ有」
と記されています。