所在地 | 上稲葉字古屋敷 |
稲葉小学校の北西約500mの地点、円宗寺の南に市兵衛八幡の社があります。
元禄8(1695)年壬生城主として赴任した加藤越中守明英は、新規入国の費用として年貢の他に、いわゆる『七色の掛物』と称する苛税を農民に申しつけました。
今までの重い年貢にさえ苦しめられていた農民は、この七色の掛物の苛税により、困窮の極に達し、不穏な形勢を示すようになりました。
この苦境を見るに忍びず、壬生領11ケ村民救済のため、稲葉村救済のため、稲葉村の賀長市兵衛・石井伊左衛門・壬生町の須釜作十郎の3名が領主に訴えましたが果たせず、更に将軍に直訴しようとしましたが捕らえられ、賀長、石井の両名は無残にも打ち首となってしまいました。
須釜は壬生寺大師堂の鍵守をしていたので、日光輪王寺門跡の請いにより死罪を免かれました。しかし城主も、この3人のかたい決意に動かされ、ついに『七色の掛物』なる苛税を免除することになりました。
後に、村人たちは市兵衛の義侠心に感じ、上稲葉古屋敷に市兵衛八幡として神に祀りました。今でも賀長市兵衛の子孫宅では、毎年12月に例祭を行っています。
※『七色の掛物』
・大麦一石に付二升七合
・稗一石に付一升五合
・真綿一貫目に付七文目
・麻一貫目に付二百文目
・大豆一石に付二升六合
・えごま油一石に付四合
・紅花一貫目に付七文目