鯉沼九八郎翁の碑

読み:こいぬまくはちろうおうのひ
 地図33


 
所在地上稲葉

 壬生町役場稲葉出張所の前に立っています。
 九八郎は嘉永5(1852)年下稲葉に生まれました。鯉沼家は裕福な家で、祖父定七の代には、質屋も営み壬生藩への出入りも多かったといわれています。
 父兵弥は、壬生藩に50両納めて長屋門の建築を許され、60余町の田畑を持ち、常時下男3人、下女2人を置いたといわれています。
 九八郎が自由民権論者として頭角を現わしたのは、明治13(1880)年国会開設の請願が行なわれた頃からです。
 明治17(1884)年9月の加波山事件の前哨戦ともいえる三島通庸県令暗殺未遂事件は有名です。この事件後、九八郎は投獄されますが、出獄後は県会議員として活躍しました。大正13年没。行年73歳。