戊辰戦役の碑と安塚の戦い

読み:ぼしんせんえきのひとやすづかのたたかい
 地図39

戊辰戦役の碑常楽寺官修墓地(忍藩士・佐藤一郎春儀)
安昌寺官修墓地(土佐藩・森山鉄太郎)興光寺官修墓地(壬生藩士・小西令作)

 
所在地安塚字坂下

 慶応4(1868)年江戸開城に不満をもった幕軍は、江戸を脱出して各地で反抗しました。安塚の戦いもその一環です。
 幕軍の将大鳥圭介は、会津藩を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしましたが、壬生藩の拒絶にあったため、栃木を廻り、栃木から鹿沼を通り宇都宮に入りました。更に壬生を攻略せんとして幕田に進出しました。
 一方壬生に入城した官軍は、因州藩、土佐藩を主力として安塚に向かい、島田家を本陣として、幕軍と姿川を挾み陣を構えました。
 戦いは同年4月21日夜半から約4時間、豪雨と深い霧の中で行なわれたといわれています。
 この時戦死した幕軍34名の霊を弔うため、有志大久保菊三郎他3名の手によって、明治13年にこの碑が当地に建立されました。
 
 ※官修墓地は、政府により管理修繕がされたお墓のことです。