壬生城址

読み:みぶじょうあと
 地図40

整備前の本丸堀址整備前の本丸堀址
現在の壬生城本丸堀・土塁址

 
所在地本丸1丁目

 現在、本丸址を残す壬生城は、壬生氏二代目、綱重の築城(文明年間)といわれています。壬生氏五代目の義雄は小田原の北条氏に従い、天正18(1590)年豊臣秀吉の小田原征伐により、壬生氏も滅亡しました。
 壬生氏滅亡後、時代は江戸時代を迎え、城主も日根野氏(1602~1634)、阿部氏(1635~1639)、三浦氏(1639~1692)、松平氏(1692~1695)、加藤氏(1695~1712)、鳥居氏(1712~1871)とめまぐるしく代わりました。
 明治19年の迅速図によると、本丸の土塁と空堀は完全な形で残っており、東西・南北とも約170mほどありました。
 現在は壬生中央公民館の南側に、本丸の土塁と空堀の一部が残るのみです。
 
  ※壬生城の遺構
   ○土塁・堀が現存
     壬生中央公民館南部 (本丸)
     旧本陣松本氏宅南  (東郭)
   ○土塁が現存
     精忠神社北方    (三ノ丸)
     常楽寺墓地南方   (三ノ丸)
     豊栖院東方     (下台郭)
     早瀬氏宅      (火除土手)
 
[参考文献]
1995 『壬生城郭・城下町図』 壬生町立歴史民俗資料館