所在地 | 本丸1丁目9-13 |
精忠神社は正徳2(1712)年から明治維新まで代々壬生城主であった鳥居家の先祖・鳥居元忠公を祀る社です。嘉永年間(1848~54)に本丸よりこの地(二ノ丸)に移されました。
元忠は慶長5(1600)年の関ケ原の戦いにさきだって、徳川家康の命により伏見城を守り、石田三成方の大軍を引き受け、よく戦いましたが、約1ケ月の攻防戦の末自刃してしまいました。
この元忠公の忠義を賞賛した家康は、元忠が自刃のさい血を流した畳を江戸城の伏見櫓の階上におき、登城の諸大名に、元忠公の精忠を偲ばせたといわれています。
その後、明治維新によって江戸城が明け渡されることになったので、その畳をゆかりの深い現在地に埋めて記念としました(畳塚)。
なお、元忠公の命日である八朔(旧暦の8月1日)の例祭には、以前は勇壮な武者行列が行なわれていましたが、現在、例祭は新暦の9月8日となり、武者行列も行なわれなくなりました。