人類の友 ひょうたん

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川田順造

 植物名としては「ヒョウタン」と片仮名で書くのが、いま広く行なわれている文字遣いだが、あのやさしくまるい輪郭の実を指すのに、とがった片仮名はどうしてもふさわしくない。ひょうたんへの愛をこめたこの小文でも、「ひょうたん」と平仮名で書くことにしよう。
 のっけから名のことにこだわったが、この植物には日本語でもいろいろな呼び名がある。ひさ、ひさご、ふくべ、ひょう。そして食用にならない苦瓠(にがひさご)、苦瓢(くひょう)に対して、扁蒲という字でも書かれている夕顔の実は甘いので甘瓢(かんぴょう)と呼ばれ、果肉を平紐状にむいて干すところから、同音の干瓢、乾瓢などの字もあてられるようになった。植物学の分類上は、ひょうたんも夕顔も、ウリ科ユウガオ属の一種Lagenaria siceraria(Molina)Standleyの二つの変種に過ぎないのだが、日本語では一方の植物名は、花の咲く一日のうちの時間帯から、朝顔に対して夕顔と呼ばれるようになり、食用になる部分に対しては、いま記したような経緯から「かんぴょう」という、ひょうたん系の名がとり入れられることになった。「ひょうたんでなまずを押える」「ひょうたんから駒が出る」「ひょうたんの川流れ」「青びょうたん」などの諺や慣用語。端午の節供に働いた人に、雨乞いのときひょうたんを背負わせて村境まで送るひょうたん送りの習俗。豊臣秀吉の馬印の千成びょうたん。雀の恩返しの昔話で、雀がお婆さんのところにくわえてきた種子が生えて成らせる、米の一杯詰ったひょうたん。日本中どこの町にでもある「ひょうたん」という屋号の飲み屋……私たち日本人の生活には、古くからひょうたんがしみこんでいる。ひょうたんの皮は縄文時代の遺跡から出土しているし、日本で最も古い史書『日本書紀』にも、何ヵ所かに「ひさご」についての言及がある。
 日本以外でも、アジアではタイの洞窟遺跡で紀元前10,000年から6,000年と推定されるひょうたんの遺物が発見されており、アフリカ大陸では古代エジプトの墳墓(紀元前3,500~3,000年)から、そして他の多くの動植物で旧世界と著しい違いを示すアメリカ大陸でも、エジプトよりさらに古いメキシコの紀元前7,000~5,000年の遺跡から、それぞれひょうたんの痕跡が見つかっている。同じアメリカ大陸のペルーでは、紀元前5,500~4,300年と推定される遺跡にすでにひょうたんがあり、紀元前2・3千年紀の初期農耕村落では、ひょうたんは柄杓(ひしゃく)、容器、漁網の浮きとして使われていたほか、食用にもされていたらしい。このようにひょうたんは、新旧両大陸で、最も古くから栽培されていた植物の一つだった。
 世界の遠くへだたった地域で、これほど古くから人間の生活の中にあったひょうたんだが、その植物としての起源地は西アフリカのサバンナというのが現在の定説だ。いくつもの野生種があり、栽培種の変種も多いというのが起源地とみなされる根拠だが、私も西アフリカのサバンナにのべ8年暮してみて、ひょうたんの種類と量の豊富さ、生活全般への根のおろしようの広さと深さには圧倒される思いがした。
 形や使い方の多様さは、展覧会に出品されている私の収集品からその一端を見ていただきたいが、直径50cm余り、果皮の厚さも1cm以上ある球形の大ひょうたん(タテに二つに切って盥(たらい)にする)から、形も大きさも無花果(いちじく)の実そっくりの浣腸器、長さ68cm、太いところの直径7cm、上の口の直径3cmの山芋のように細長いバンバラ語で「ングレン」という、両端を掌で開閉して独特の音を出す楽器、高さ50cm近くもある、首の長いいわゆるひょうたん形の、牧畜民がバターをつくる道具、矢筒、椀、そして大小さまざまな柄杓等々、その多様さは、私たち日本人がもっているひょうたん細工のイメージをはるかに越えている。
 だが西アフリカがひょうたんの起源地だったとすると、先にもいくつかの例を挙げたような古い時代から、世界の遠くへだたった地域にひょうたんが用いられてきたことは、どのように説明されるのだろうか。
 種子をまいて育ててみた方ならおわかりのように、ひょうたんは繁殖力の旺盛な植物だ。その器としての利用価値からいっても、陸つづきで人の交流もあったエジプトやアジアに、古くから伝わったことは不思議ではない。しかし1万年以上前に南端まで人の移住が行なわれてから15世紀末のコロンブスの時代まで、他の世界とは人の行き来がなかったと思われるアメリカ大陸に、西アフリカからどのようにしてひょうたんは渡って行ったのだろうか。いまのところ考えられている可能性は、西アフリカの海岸で偶々海に落ちたひょうたんが、大西洋を東から西へ赤道沿いに流れる強力な南赤道海流に乗って、いまのブラジルの海岸から中米東海岸、あるいはカリブ海の島々のあたりのどこかに流れついたのではないかというものだ。ひょうたんの実を2年間海水に浮べておいてから中の種子をまいて発芽させた実験もあり、ひょうたんは自家受精するので、たとえ1個の実がアメリカ大陸の海岸に漂着しても、そこからいくらでもふえてゆく可能性はあるのだ。
 ひょうたんは、世界の熱帯、亜熱帯、温帯の各地でいろいろな使われ方をしてきたが、その利用法は大きく4つにわけられるだろう。第一は広い意味の器として、第二は呪術や信仰にかかわる用具、あるいは装飾・愛玩品として、第三は音具(楽器というよりもっと広い範囲の、音を出す器具)として、そして第四は食用としてである。食を除けば、第一から第三までの用途の大部分は、ひょうたんの果皮を乾かしたものが、堅くて軽く、そして何よりも中空だという性質に基づくものだ。以下、ひょうたんの使われ方のいくつかの面を、日本や中国と、起源地西アフリカとを対比させながらみてみよう。
 器としてのひょうたんの使いみちで真っ先に思い浮かぶのは柄杓(ひしゃく)であろう。日本語でも「ひしゃく」ということばは、ひょうたんの古名「ひさご」から来ているといわれる。細長いひょうたんをタテに2つに切ると、柄杓が2つとれる。西アフリカの変種にあるように、球形にふくらんでいるのは下側だけで、上は細長くのびていると、なおさら柄杓を作りやすい。柄杓のように液体を「すくう」機能に次いで、「飲む」器としての役割も大きい。『論語』に「一簞の食、一瓢の飲」ということばがある。簞は飯を入れる小さな籠のことで、これは孔子の弟子顔回が、質素な生活を守りながら道を求めるさまを表したものだ。西アフリカでも、水や酒を飲む椀として、大きめのものは食物を盛る丼として、広く用いられている。さらに、日本古来の酒器としてのふくべのように、液体を運び、注ぐ器にもなる。液体だけでなく、孫悟空の万金丹のような丸薬を入れたり、西アフリカでは粉末状の噛みタバコや調味料を入れるのにも小型のひょうたんを使う。日本でも七味とうがらしなどの薬味入れには、木彫りでも形はひょうたんを模したものが多い。工芸品・愛玩物としての使われ方と重なることだが、ひょうたんの器の使いこんだものは、艶(つや)といい、手にもったときの軽く軟らかな感触といい、おおらかでどこかユーモラスな曲面とあいまって、えも言われぬ魅力をもっている。ひょうたんが古くから多くの社会で人間の伴侶となってきたのも、植物の実でありながら妙に人間っぽく、人間に馴染みやすい愛らしさによるところが大きいだろう。
 漁網の浮き、中国で昔腰舟(ようしゅう)という腰に着けて水を渡るときの浮きにした用法、『日本書紀』の中の、川の水面に浮かべたひさごを沈められるかどうかで水神の力を試した話など、「内に液体を入れる」のでなく、「外の液体を入れない」性質を利用した使われ方もひょうたんのもう一つの側面だ。
 日本の昔話の蛇聟入譚のひょうたんのお守りも、西アフリカの双子の守護霊の宿り家(やどりが)としての球形ひょうたんも、中空の物体の中に霊力が宿るという、人類に広くある考えに基いているのであろう。
 さらに、神楽歌に「比左乃古恵(瓠(ひさ)の声)」とあるように、たたいて拍子をとったと思われる音具としての用法も、ひょうたんの使われ方の大切な側面だ。平にした小型のひょうたんをたたきながら念仏を唱えて遍歴した鉢たたきの僧。西アフリカでも、伏せて半球形のひょうたんをたたくことは(別の大きなひょうたんの鉢に入れた水の上にひとまわり小さい半球形のひょうたんを伏せ、小さなひょうたんの杓子でたたくものもある)、葬式や憑依儀礼でよく行なわれる。中空のひょうたんをたたくことによって、死者の霊力や精霊を呼びさまし、それと交信するかのように。こうしたひょうたんをたたくときも、あるいは西アフリカに多い、ひょうたんの中に小石などの発音体を入れた、あるいは外側に巻貝の殼やビーズを通した網をかぶせたガラガラでも、ひょうたんの堅い果皮が発音体になっていると同時に、ふくらんだ中空の形が音の共鳴器の役割をしているわけだが、音具の共鳴器としてのひょうたんの使用も、西アフリカでは弦楽器の胴から木琴の音板の下にさげた共鳴胴まで広くみられる。第四の食用としての夕顔も含むひょうたんの利用は、世界でも(中国南部や東南アジアでは夕顔の実を食べるが)比較的限られているようで、植物のあらゆる部分をよく食べる西アフリカでも、モシ語で「ゴレ」と呼ばれる細長い一変種の果肉を煮て食べることがあるくらいだ。日本で干瓢がいつ頃から作られるようになったのか、記録として古いのは15世紀中頃の『下学集』あたりらしい。昔は山城の国の木津が名産地で、京阪ではいまでも干瓢を「きづ」というそうだが、現在では栃木県が全国の生産の大部分を占めていることはよく知られている通りだ。
 近年生活全般の変化に伴なって、人間の生活の中でのひょうたんの位置もずいぶん変ったが、西アフリカの村の生活では、工業製品の進出にもかかわらず、ひょうたんの器は、そのほどよい曲面、軽さ、親しみやすいぬくもりなど、金属やプラスチック製品で代替できない性質のために、器として相変わらず重要な位置を占めている。
 かえりみて日本では、夕顔細工の代名詞のような炭取りをはじめ、器や工芸品としてのひょうたんの重要性は、とくにここ40年くらいの間に、すっかり減少してしまった。それに対し、世界的にみればひょうたんの利用法として元来二次的なものだった食用の方では、「日本の味」に欠かせない干瓢は、生産も消費も、まだ健在だ。地球規模で資源の問題が深刻化しているいま、栽培も容易で形も美しく、機能的なひょうたんの各種の器が、必要なら「本家」のアフリカからさまざまな形の実の成る変種の種子を輸入するなどして、ひょうたん細工の長い伝統をもつ日本でも、見直され、工夫して開発されてもいいのではないかと、ひょうたん好きの私は思わずにいられない。
(かわだ じゅんぞう)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
(国立民族学博物館併任)教授
文化人類学