高岡正之
1991年7月18日(午後)壬生町より直接搬入され、調査を依頼されたヒョウタンの果皮(部分)について、外部形態および断面切片の顕微鏡写真について所見をのべる。
供試資料は出土した各々数個分のヒョウタン片の中から任意に抽出したもので、果実の中~下位に位置する外側部の破片である。遺跡および資料の概要は次のとおりである。
(1) | 遺跡の概要 | |||||||||
① | 多功南原遺跡: | 所在地 栃木県河内郡上三川町大字多功南原 | ||||||||
時代 奈良・平安時代 | ||||||||||
出土場所 井戸跡 | ||||||||||
伴出遺物 須恵器甕底部転用紡錘車、曲物 | ||||||||||
② | 東野田遺跡: | 小山市大字東野田字金山 | ||||||||
旧石器時代から中・近世 | ||||||||||
井戸跡(中世・15C頃) | ||||||||||
木片 | ||||||||||
③ | 殿山遺跡: | 栃木県河内郡上三川町大字上神主 | ||||||||
弥生時代から鎌倉・室町時代 | ||||||||||
井戸跡 | ||||||||||
須恵器、木片 | ||||||||||
(2) | 資料の概要 | ① | ヒョウタン、側~底部破片(二片) 黄褐色 | |||||||
a | 大きさ | 4.0×4.0cm | , | 厚さ | 5mm | |||||
b | 4.5×3.0 | , | 6 | |||||||
② | ヒョウタン、側~底部破片(二片) 黄褐色 | |||||||||
a | 5.0×4.5 | , | 4 | |||||||
b | 4.5×3.5 | , | 5 | |||||||
③ | ヒョウタン、側~底部破片(二片) 灰白色 | |||||||||
a | 4.5×4.0 | , | 8 | |||||||
b | 4.0×3.5 | , | 4 |
果皮の厚さは4~8mmと異なるが、この違いは固体差や摩滅によるものと考えられる。各片の断面切片(100μm)を作り、顕微鏡観察を行った。断面構造は写真(1)~(6)に示すとおりである。それによると、果皮層直下5~10細胞群は小さく細長い(径50~163×13~25μm)。それより内部に行くに従い、次第に大きく楕円型から丸型(55~175×35~75μm)になる。表層側の1/3~1/2の細胞は葉巻状で細長く、柵状に緻密に接している。それらはいずれも定型的なものではなく、不揃いである。果皮層内には数個の管孔がみられどれも壁面の表皮組織をもっていない。
(3)分類
ヒョウタン(Lagenaria siceraria(M.)Standley)はウリ科-ヒョウタン属(Lagenaria Ser.)に属する植物の種目で、日頃呼び親しんでいるくびれのあるいわゆる“ヒョウタン”は植物分類学的にはヒョウタンの一変種(L. s.var.gourda)として位置ずけられるものである。
わが国で栽培されるヒョウタンの主なものは観賞用のくびれのあるいわゆるヒョウタンやセンナリヒョウタンと、食用となるユウガオの系統である。ヒョウタンの分類については幾つかの説があるが、3系統ともすべてヒョウタンの変種とするのが一般的な考え方である。
ヒョウタンはアジア・アフリカの熱帯の原産と考えられている。現在でも、アフリカのサバンナ地方にはヒョウタン類の原種(祖先型)と思われるような野生状態の植物が成育している。今日、東南アジアからアフリカにかけた熱帯地方では多くのヒョウタンが栽培され、それらは実生活のなかで多面的に利用されていて欠くことの出来ない必需品である。ヒョウタンの形、大きさは実にさまざまで、多くの系統がある。それらの日用雑器として利用されている苦い系統の他に、食用として栽培されている甘い系統のあることは注目すべき点である。
この形や大きさに注目して次のように7つに大別する分類方法がある。
ヒョウタン ‥‥‥ | ① | ヒョウタン(くびれのあるもの ≦30cm) |
② | ツルクビヒョウタン | |
③ | ツボヒョウタン | |
④ | ナガユウガオ | |
⑤ | ユウガオ | |
⑥ | カドヒョウタン(原産地:南アフリカ) | |
⑦ | イボヒョウタン |
我国で栽培されているヒョウタン(L.s.var.gourda)およびセンナリヒョウタン(L.s.var.microcarpa)は苦くて食用にはならない。ユウガオ(L.s.var.hispida)は苦みがなく食用を目的として栽培されている。即ち、①長ユウガオは料理用、観賞用として、②丸ユウガオはカンピョウ用として栽培されるのをはじめ、果実は炭入れ、置物、花器等としておおいに利用されている。
科 | 属 | 種 | 変種 | ||
ウリ | ヒョウタン | ヒョウタン | ― | ヒョウタン | |
センナリヒョウタン | |||||
ユウガオ・・・・ ― | 円筒型(ユウガオ系) | ||||
丸 型(フクベ系) |
(4)ヒョウタンの苦味について
ひとつの種の中で、苦いヒョウタンと甘いユウガオがあるが、その違いはどうして起こるのだろうか。
苦味はククルビタシン類(cucurbitacin A,B,C,‥‥:別名エラテリシン類)という何種類かの苦味成分によって引き起こされるもので、その苦味成分は同時に中毒作用(下痢)や抗腫瘍性も示す。これまで説明してきたとおり、ヒョウタンもユウガオもおなじ種であるから、自然状態では自由に交雑(混じり合って受精すること)し、強い形質(生物のもついろいろな性質や特徴)を持つたものが生き残る。それらの形質は遺伝子によって支配されており、苦味成分も優性遺伝子(R、劣性遺伝子はr)によって作られる。つまり、体内にRR、Rrの遺伝子組成をもったヒョウタンは、苦味成分ククルビタシンを作るために食用とならず、一方rrの劣性遺伝子のみをもったものは苦み成分を作らないので食用として利用されるのである。
これまでに報告されている事例を散見すると、縄文時代などの古い時代に出土した例ではヒシャク型の長い系統の果皮片が多く、日用雑器としての用途に供されたと考えられるものが多い。それに比べ、丸型のものの出土事例は時代的にも新しいものが多く、ここの資料も、奈良、平安時代以降の井戸跡から出土したものである。
植物が遠く旧地を離れて伝来することについて考えてみると、潮に乗って運ばれることは別にして、人が運ぶにあたっては、日常生活の便に必要不可欠であるとか、食料としてたかい利用価値がある等の点で、相当に強い目的意識が働いたと考えられよう。特性の曖昧なものは顧みられず明瞭なものだけが携帯されるという点にたてば、(1)日用雑器類としての系統と、(2)食用としてのユウガオ系統が伝来したと考えることも可能である。その点から、本資料(丸型のヒョウタン)をユウガオ(フクベ系)と考えたい。
図版Ⅰ ①多功南原遺跡 ②東野田遺跡 ③殿山遺跡
果皮断面の顕微鏡写真…………000μm
果皮表層、小さな細胞が緻密に柵状に接している。
中層、次第に大きな細胞があらわれ、大小間差の大きい細胞群で構成される。
内層、さらに大型の細胞から成る。細胞間隙が多くなる。
(たかおか まさゆき)
栃木県立博物館特別研究員
栃木県立博物館特別研究員
図版Ⅰ 果皮断面の顕微鏡写真
果皮表層、小さな細胞が緻密に柵状に接している。
中層、次第に大きな細胞があらわれる。
内層、さらに大型の細胞から成る。細胞間隙が多くなる。