東京大学大学院教育学研究科教授 小国 喜弘
新たな『港区教育史』がここに完成した。旧版が刊行されたのは、昭和62年のことであった。今回、旧版に掲載された章(本書第1章から第6章)に校訂と注釈などによる解説を加え、さらに昭和末期から平成期にわたる約40年余りの歴史を序章第5節ならびに第7章として書き加え、資料編には平成期の重要資料を補足した。さらに新規企画として「くらしと教育編」を書き下ろしている。
旧版が完成したのは、日本社会の転換期であった。監修者の永岡順は、旧『港区教育史』冒頭において、「現在、我が国の教育は、さまざまな社会・経済的あるいは科学・技術的文化の中にあって、大きく変化しつつある。これまで築き上げられてきた教育制度や内容が、時代の推移の中で新しい在り方を求めて改善されるべきことが要請されている。(中略)生涯教育の観点からの家庭・学校・社会を結ぶ総合的で多様なしかも柔軟性のある教育の新しい体系化が、これからの我が国の教育の方向として打ち出されてきている」と述べている。
この40年を振り返るならば、まさに永岡が展望した「生涯教育」の時代が訪れた。ただし、当初使用された「生涯教育」という用語は、供給側ではなく学習者側を重視する意味で「生涯学習」と呼び換えられることとなる。昭和期までは、教育制度といえば学校教育が事実上の中心と見なされる傾向もあったが、平成期には学校教育も含む概念として「生涯学習」が位置づけられ、教育は生涯学習体系として整備されることになったのだ。
読者は、全巻を通読する中で、いかに港区の教育が、19世紀末以来の日本近代教育史において常に先進的な位置にあり、同時に、高い質において営まれてきたことをも確信することだろう。また、第6章までとの対比において第7章を読む中で、この40年間において教育の姿が大きく変化したことを印象づけられることになるだろう。
さらに本書の一行一行の記述の背後には、それぞれの時代の区民の教育にかけた思いがあり、努力の跡がある。そのように行間に潜む人々の足跡に思いを馳せるならば、本書を通して、区民が力を合わせて教育をつくってきたこと、そして区民の幸せが教育により確かなものとされてきたことに改めて気づかされるに違いない。
なお、当初編さん委員会委員長を務めていた土方苑子東京大学名誉教授は、平成29年10月29日、脳梗塞のため突如逝去された。港区教育史の完成を誰よりも気にかけ、死の直前まで元気に学校の史料調査にも同行し、全体を指揮されていた。突然の訃報に関係者の衝撃と喪失感は大きく、土方先生を喪った後の教育史編さんは困難を極めた。心より先生のご冥福をお祈りするとともに、完成した『港区教育史』を真っ先に墓前に捧げたい。
令和4年3月