「船影のにぎわう 港はまばゆい 岩壁埋めて ひびく ひびく 積荷の歌に あわせて歌おう 限りなく伸びる うれしさ 波にひろがる 我ら芝浦の子ども 潮風の橋を わたれば 羽光らせて 鳥もうたうよ」
(区立芝浦小学校・昭和40年制定)
「かがやく空と青い海 夢大らかにひろがるところ 道もはるかに世界に続く」
(区立港南中学校・昭和40年制定)
区内小・中学校の校歌をみると、東京湾・東京港を詠(よ)みこんだ校歌が多い。まさに、東京湾は港区の海に近い地域に住む人ばかりではなく、台地に住む人たちにも外国に直接つながる玄関口としての意識をもたせている。
明治時代からの埋め立てにより、海岸線はかつての東海道(現在の東海道線の位置)より2キロメートルも沖合に押し出されてしまったことで、湾内の景観は大部分の区民には見ることができないが、貿易関連産業を中心にその生活に密着している。
[図1] 位置(『港区行政資料集』昭和60年度版)