この人口数は、昭和53年以後ほぼ漸減状態が続いていると判断できる。次に年齢別人口構成を比較すると、15歳から29歳までの青年層は、昭和53年に比べ実数で6761人、比率で約13パーセント減少し、逆に65歳以上の高年齢層は実数で3093人、比率で約16パーセントの増加となっており、高年齢層の増加傾向がますます強まっていることがわかる。また、世帯数からみると9万1978世帯で、同じ昭和53年と比較すると、人口が漸減状態にあるにもかかわらず、増加を続け、核家族化の進んでいることもうかがえる。
[図17] 年齢別人口構成・昭和60年1月1日現在(『みなと区政要覧』昭和60年度版)
一世帯あたりの人数は、2・14人で、このことから年々一世帯あたりの家族構成人数が減少している様子を探ることができよう。
港区の人口密度は、昭和53年度以降、当然漸減状態であるが、東京都内各区の中では珍しく増地による減少がみられた。すなわち、昭和57年の東京湾台場周辺埋立地の編入がそれで、昭和60年1月1日現在1平方キロメートルあたり9862人となっている。なお、東京都区部の人口密度は、1平方キロメートルあたり1万3792人である。
港区の人口からみた特性をあげると、第一に昼夜間人口の大きな変化である。これは前述のように、区内主要幹線沿道を中心に居住地性が失われたためであるが、青山、麻布、白金、高輪の旧住居地域は、再開発により高層住宅が出現していることで人口の極端な減少は避けられているが、年々減少の速度を早めている。また、流出流入人口は、ビジネス街への通勤人口のほか、国立、公立、私立の各学校への通学学生生徒数を含め人口の流入は50万人を超えている。
第二に、外国人登録人口の多いことである。港区在住の外国人は、歴史的にみても幕末期から外国公館の設置、高級住宅地としての環境、新橋、赤坂、青山の商業地形成の内容から、都内では欧米系を中心とした居住者数は最高である。外国人登録数は、昭和60年1月1日現在、1万1082人で、これは東京都23区の平均5154人の2倍強となっている[図18]。
[図18] 外国人登録者数・各年度末日現在
第三に、停滞化した人口の高年齢移行がすすんでいることである。港区内の地価の高騰により、青年層の居住困難な環境条件が生じた。このことは、核家族化がすすむ現在でも、居住地域内の2世代家族構成が周辺地域に比べ非常に多い半面、核家族の青年層の都郊外及び、近県への流出も目立つ。高収入の高年齢層の比率が高くなるのは当然である。このため、就学児童生徒が減少し、公立幼稚園、小・中学校の統廃合問題、私立学校の郊外移転が起こっている。
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区内世帯数と一世帯当たり人員
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区内義務教育終了年齢までの人口構成 年齢別/性別
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区立学校幼児・児童・生徒数
関連資料:【くらしと教育編】第14章 国際交流・国際理解教育