戦前の区民の足[図20]

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 明治末期から、大正、昭和前期にかけての港区民の交通機関利用の大部分は、市電(都電)であった。例えば、東京以外の地への旅行であっても、市電に乗らなければ最寄りの国鉄駅に行くことができない地域が多かった。
 このことは中心区に共通したことで、千代田、中央、文京、台東、新宿など山手環状線の中にある各区と台東区、江東区など旧15区の特徴である。また、それに応えるように、市電路線は幹線道路をあますところなく網状に覆い、停留所も数多く設置されていた。
 大震災後、道路の舗装化がすすむころ、乗合自動車が走りはじめたが、タクシーとの競争に勝てず、路線バスの普及は停滞した。このほか、昭和13年(1938)11月に虎ノ門・青山一丁目に地下鉄が開通した。これは、東京における最初の地下鉄で、やがて延長され渋谷・浅草間を結び、戦前における唯一のものとなった。
 

[図20] 昭和35年当時の都電(『港区史』下巻より作成)