江戸時代末期の港区地域は、その60パーセントが武家屋敷、寺社地が30パーセント、町地が10パーセントであったが、武家地は明治維新後、荒廃し、桑茶畑に変容したことは前述した。しかし、赤坂、青山、麻布などの地域は、その後、高級住宅地化したこともあり、旧大名が居残り、大名家に伝わる書画、工芸、刀剣などが国宝または重要文化財となり、区内に留まっているケースも多い。
これらの高級住宅地には、明治時代から大正、昭和の近代史に名を連ねる大実業家も居住し、各種の美術品を収集し、それらが文化財の指定を受けている例もある。その代表的な例として、大倉集古館(大倉喜八郎=虎ノ門2丁目)・根津美術館(根津嘉一郎=南青山6丁目)があげられる。このほか、美術品収集家として、三井八郎右衛門、安田善次郎、藤原銀次郎、石橋正二郎の名も忘れることができない[図1]。
[図1] 根津美術館(公益財団法人根津美術館提供)
次に、都内でもその数の多いことで知られる寺社関係になると、その性質上、古文書、仏像などの文化財をあげることは当然であるが、とくに徳川家康入府以前の創建寺社も多く、その歴史的価値も高い。
鎌倉時代までに創建されたといわれる社寺をいくつかとりあげると、
・氷川神社(元麻布1丁目)天慶5年(942)、または、文明年間(1469~85)創建
・御田(みた)八幡(三田3丁目)和銅2年(709)創建と武蔵風土記伝う
・烏森神社(新橋2丁目)天慶3年(940)藤原秀郷勧請と伝う
・西窪八幡宮(虎ノ門5丁目)寛弘年間(1004~12)創建
・宝徳寺(三田4丁目)貞永元年(1232)祐閑により建立
・善福寺(元麻布1丁目)天長元年(824)空海により建立
・承教寺(高輪2丁目)正安元年(1299)日円による開山
などのように、その創建年代が奈良、平安にさかのぼる古寺社が多く、伝わる古文書にも、「足利直義御教書」(芝大神宮蔵)、「善福寺文書」、「足利成氏祈願状」(烏森神社)のように都内最古のものが存する。このような古寺に列することはできないが、増上寺の存在も港区地域の寺院では注目しなければならない。
増上寺は、青松寺とともに建立の時代は江戸開府以前の古寺に属するが、天正18年(1590)徳川将軍家菩提寺となって以後、真言宗光明寺より浄土宗に改宗し、増上寺と改名した。慶長3年(1598)大伽藍を建立、多くの塔頭を従え現在地に移転している。この寺院に伝わる仏像、文書、建造物には文化財として価値の高いものが多い
港区内の寺社の大部分は、明暦年間(1655~1657)以降の移転により現在地に起立したことや、近年の市街化による改築もあり、その建造物としての歴史的価値をあげることはできないが、これらの寺社に保存されたものに東京都を語り、港区の歴史を知る貴重な史料、美術価値を見いだすことができる。
次に、港区は江戸府内の入口という立地条件から、幕末開国後、外交史上に残るさまざまな史跡がある。そのおもなものに、当時外国公館や宿舎となった西応寺・大松寺・大増寺・済海寺・善福寺・東禅寺などの寺院があり、このほか赤羽接遇所跡、光林寺などその数も多い。このほか、高輪大木戸跡、台場なども、往時の江戸における港区の地理的位置を示す史跡であるといえよう。
また、近代文化発祥にかかわる史跡としての例をあげると、
・鉄道発祥の地(東新橋1丁目)旧新橋・横浜間鉄道創設起点跡
・放送記念碑(芝浦3丁目)大正14年(1925)仮放送
・日本経緯度原点(麻布台2丁目)
・源流院仮小学第一校跡(芝公園1丁目)公立小学校の最初
このように、港区は文化財の数を誇るにとどまらず、江戸時代より今日まで、時代の先駆としての役割を果たす重要な地域であったことがわかる。
関連資料:【学校教育関連施設】港区博物館・美術館・資料館概要一覧
関連資料:【学校教育関連施設】港区指定文化財一覧 (昭和54年度~平成30年度指定)