町屋のにぎわい[図7][図8]

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 増上寺近隣や東海道に沿った場所に町屋が発達し飯倉・芝金杉・本芝・上高輪の諸町は、寛文2年(1662)に、町奉行支配下に移された。元禄9年(1696)には一ツ木町が、正徳3年(1713)には麻布桜田・龍土・今井・白金台・下高輪が町方となった。『御触書寛保集成』によると、
 
  江戸廻リニ有之百姓地町々支配之事、御代官当御役御用多有之処ニ、彼町々支配ヲ兼候儀尤以大儀之事ニ候間
 
とある。
 元文3年(1738)には青山久保町・青山原宿、延享2~3年(1745~1746)には、港区地域内外の寺社門前町が町奉行支配下に移された。拡大された町奉行支配地は、行政上の区分のみで町方とはいえ、麻布・青山・白金の大部分は、百姓地として年貢、地方諸役を分担していたのである。
 

[図7] 町方のにぎわい(港区立三田図書館編『港区歳時記』3)

 

[図8] 寺社門前のにぎわい・芝神明宮(港区立三田図書館編『港区歳時記』3)

 市街地として密集した町屋を形成し、商工業が繁栄していた地域は、
 
  ・芝地域  芝口・源助町・露月町・柴井町・宇田川町・芝中門前・浜松町・新網町・西応寺町・本芝・車町・神谷町・三田四丁目・桜田伏見町
  ・青山地域 青山久保町
  ・赤坂地域 裏伝馬町
  ・麻布地域 永坂町・坂下地・宮村町・竜土町・桜田町・本村町
                   (文政町方書上の各町戸数で200戸以上)
 
である。芝地域の東海道沿道と古町といわれる現新橋、麻布十番、赤坂、青山の商業地域の一部が商工業のさかんな地域となっていることがわかる。
 港区地域の商工業の特色を挙げると、第一に江戸湾岸に位置し、大名の蔵屋敷が立ち並んだ金杉、本芝、芝口(浜松町)一帯に各種の問屋が集まったことである。「文政町方書上」によると、米穀をはじめ、味噌・塩・茶・鰹節などの食料品問屋、薪・炭・油・蠟燭(ろうそく)などの光熱関係の問屋、小間物・団扇・鋳物・樽・畳表・荒物・地漉紙(じすきがみ)などその種類も多い。
 第二に、芝浦という御菜浦の関係から水産業の問屋や小売商も目につく。いわゆる江戸前の鮮魚の魚河岸があったのである。
 第三に、両替商と人宿が多いことである。両替商は当時の金融機関を代表するもので、大名の蔵屋敷、問屋との関係が深い。また、人宿は奉公人の口入れ(職業斡旋)や飛脚業務にかかわった商売である。この商売の対象は主として武家屋敷で、徒士・若党・中間・陸尺・女中などの江戸屋敷での勤務のほか、参勤交代にしたがう場合もあった。
 
 第四に、芝神明付近に集中した書物問屋とその関連産業である。