■芝神明を中心にした書物問屋 嘉永4年(1851)

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  ・書物問屋
   芝宇田川町  名山閣  和泉屋吉兵衛
   芝神明町   二酉堂  和泉屋新八
   同      尚古堂  岡田屋喜七
   芝三島町   甘泉堂  和泉屋市兵衛
   芝宇田川町  相悦堂  内野屋弥平治
   飯倉町    一貫堂  万屋忠蔵
  ・地本草紙問屋
   古組
   芝三島町  和泉屋市兵衛 ・ 芝三島町  佐野屋喜兵衛
   芝神明門前 万屋吉兵衛  ・ 芝三島町  丸屋甚八
   芝宇田川町 丸屋清次郎  ・ 芝三島町  若狭屋与市
   仮組
   芝神明門前 越前屋平三郎 ・ 芝三島町  増田屋銀次郎
   芝神明門前 伊勢屋忠介  ・ 芝三島町  和泉屋清七
   芝口三丁目 山城屋甚兵衛 ・ 芝口三丁目 上総屋岩蔵
   芝浜松町  武蔵屋伊三郎 ・ 赤坂新町  伊勢屋兼吉
  (天保の改革で禁止後、再開された古組と新しく承認された仮組とに分けた)
 
 関連の職人としては、版木師宗岡信吉が高輪南町に住み、摺師として山中孝次郎(烏森町)、山中信次郎(麻布網代町)、椎名安兵衛(芝佐久間町)、大海屋政次郎(芝中門前町)、伊勢屋兼吉(赤坂)などの名がうかがえる。
 このように、芝神明を中心に、出版・印刷の問屋が集中したのは、文人墨客が集まる地域性と、江戸より地方への出入口であった地理的利点をあげることができよう。当時、書物・絵草紙類は旅行者の格好のみやげ物であった。なお、福澤諭吉の名著『西洋事情』〔慶応2年(1866)〕は、尚古堂(岡田屋嘉七)が出版元になっている。
 このほか、芝口から神明社門前にかけての東海道筋には多くの飲食店が立ち並び繁華街を形成していた。即席料理店・そば屋・うなぎ屋・すし屋・御菓子所が軒を並べ、庶民の憩いの場所であり、東海道旅行者の立ち寄るところであった。旅行者のみやげ店として、小間物・白粉・硝子(がらす)細工・袋物・紙などを商う店も多かった。また、芝日陰町・露月町の古着、芝車町の使役牛、古町として家康以来の町並を誇る外桜田の鍛冶、赤坂より青山の大山街道沿いの飲食店などが、当時特色をもつ商工業地帯であった。