これらの藩校は、大きく分けると二つの種類から成り立っている。すなわち、狭い意味では、儒学を主とする漢学を中心とし、文学の学習と人間教養のための学問を学ばせる学校で、藩士の子弟のすべてを入学させる建前の学校を意味する。広義では、前述の藩校のほか、医学校、洋学校、国(皇)学校、兵学校、そして郷(ごう)校など、およそ藩が経営するすべての教育機関を指して用いられた。
[図10] 藩校設立の情勢
明治2年(1869)現在における総藩数276のうち、資料不足のため存在が不明であった21藩を除いた255藩の調査である。享保以前ははぶく。
(調査資料は『日本教育史資料』を中心に修訂、補充してある。石川松太郎『藩校と寺子屋』による)
狭義の藩校が設立されていった経緯を設立の各時代別にあげると、[図10]のようになる。この表には、総藩数276のうち、資料不足のために藩校があったのかどうかわからない21藩、設立年代不明の4藩及び明治時代に入ってはじめて藩校を設けた36藩との合計61藩を除く215藩が、慶応3年(1867)までに藩校を設立していたことがわかる。また、この215藩のうち187藩(約87パーセント)が、宝暦から慶応にいたる約120年間に設けられている。この結果から、藩校は、諸藩が富国強兵の政策に力をいれた江戸時代後期にその設置をおこなったといえる。