区立13小学校の設立

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 「学制」により、港区内には公立小学校として、すでに開設されていた「仮小学第一校」をはじめ13校が、明治6年より同12年にかけて発足した。
 「仮小学第一校」は、第二中学区第一番公立小学鞆絵(ともえ)学校として、明治4年、芝西久保巴町に移った。そのほか、区学校開蒙社(かいもうしゃ)を前身とする第三番公立小学御田(みた)学校が三田台町に、愛宕下の育幼社跡に第二番公立小学桜川学校が明治6年に設置されている。
 桜川学校は、明治8年6月、第二中学区第二番公立小学桜川女子学校となり、当時在学中の男生徒は全部鞆絵学校に移し、女生徒のみとした。新設校は13校中8校を数えるが、公立小学校の新設にはかなりの困難があった。
 赤坂区内で最初の公立小学校として設立されたのは、現赤坂小学校である。明治3年、区内有志により自身番跡を利用して設置された習学所が前身である。明治6年4月、一ツ木町75番地の旧幕臣井上左太夫上地545坪余の地に、瓦葺(かわらぶき)平屋西洋造の校舎を建設し、9月落成開校、正式には第一大学区第三中学区三番小学茜陵(せんりょう)学校と称した[図2]。
 

[図2] 明治6年頃の赤坂小学校

 麻布区内では、当区内の有志が発起人となり、明治8年、第一大学第二中学区第一五番小学麻布学校と称して現麻布小学校が創設された。
 芝区内、第二中学区第二六番公立小学桜田学校は、明治9年9月に設立認可、翌10年4月新幸町に開校した。
 設立賛助者の中には、皇族有栖川宮をはじめ、三条実美・大久保利通・島津久光等の名が列挙されている。このような知名人を賛助者に加える背景には、公立学校設置に多くの地元民や有志の財政援助が必要であったことを示している。
 また、公立小学校の授業料は、1カ月50銭を相当とし、ほかに25銭の一等を設けて徴収した。この金額は当時の通貨価値から考えて、決して安くはなく、公立小学校への通学はかなり困難であった。
 
関連資料:【文書】教育行政 小学校授業料
関連資料:【文書】小学校教育 桜川学校設立
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関連資料:【学校教育関連施設】
【くらしと教育編】第2章第2節 (3)仮小学や郷学(ごうがく)から公立小学校へ