官立の学校として、港区地域内に設置されたものに、開拓使仮学校(東京仮学校)がある。明治5年(1872)4月、増上寺内方丈跡(現区立御成門中学校敷地)に開校され、北海道開拓の中堅人材養成を目的とし、官費・私費の生徒各50名を入学させた。同年9月には、北海道在住の花嫁を育成するため、女学校も併設し、50名に限り、漢学・数学・裁縫を教授した。開拓使仮学校は明治8年、北海道に移され、札幌農学校となり今日の北海道大学の前身となった。
また、明治6年には、芝汐留にのちの逓信官吏練習所の前身である修技学校が設置されている。更に、明治7年海軍経理学校の前身である会計学舎が芝公園内に設けられたが、翌年主計学舎と改称し、同10年廃止、のち再開して築地に移転して海軍経理学校となった。
明治24年、陸軍大学校が赤坂区青山北町に設立された。この陸軍大学校は、明治16年の開校で、最初参謀本部内におかれたが、同17年、和田倉門外に移り、更に規模を拡大して軍施設の多い青山に設置したものである。陸軍大学校は、戦争末期に山梨県に移転したが、改築前の区立青山中学校は昭和29年(1954)よりその大学校舎を利用していた。このほか、芝海岸通りには、水産講習所(現東京水産大学)が明治22年(1889)に、西芝浦には、東京工業大学付属工業高等学校の前身が明治19年にそれぞれ開校している。
明治33年、青山北町に東京府師範学校が小石川区竹早町から移転してきた。明治6年、小学校教員講習所として開設したものである。その後、昭和11年(1936)、世田谷区下馬に再度移転した。この跡地は、その後急速に増設された府立中学校の臨時仮校舎として利用された。
府立第三高等女学校は、明治34年(1901)、東鳥居坂町の東洋英和学校の校舎の一部を借りて開校した。その後、北日ケ窪(現区立城南中学校敷地)に新校舎を建てて移り、正式の開校式を明治35年に挙行した。同校は戦災に遭い目黒に移転、都立駒場高等学校と改称した。このほか、府立第六高等女学校(現都立三田高等学校)が、大正12年(1923)に第三高等女学校内で開校し三田に新校舎を建てて移っている。
関連資料:【学校教育関連施設】青山中学校(あおやまちゅうがっこう)
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