区内産業教育の動き[図12]

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 明治38年(1905)、本区に設置されていた実業学校には、慶応義塾商工学校・麻布獣医学校・大倉商業学校・慶応義塾商業学校がある。いずれも私学で明治32年の「実業学校令」に準拠するものであった。また、赤坂区田町には商工徒弟夜学校が設置されていた。
 大正8年(1919)よりの実業教育拡充政策を受け、芝新芝町に官立東京高等工芸学校が同11年に開設された。「専門学校令」による官立高等実業学校で、工芸図案科(工芸彫刻部)・金属工芸科・精密機械科・木材工芸科・印刷工芸科(写真部)が置かれていた。また、大倉商業学校も大倉高等商業学校となった。
 

[図12] 大倉高等商業学校(『赤坂区史』)

 このほか、赤坂区中之町に商工中学校(現日本大学第三高等学校)が大正5年に移転してきており、高輪実業学校が芝区車町に大正8年に開校し、区内の小学校には実業補習学校が併設された。
 
  東町商工補習学校  麻布区東町尋常(じんじょう)小学校内  大正7年
  愛宕商業補習学校  芝区愛宕高等小学校内    同8年
  筓(こうがい)商工補習学校  麻布区筓尋常小学校内    同9年
  赤坂商工補習学校  赤坂区中之町尋常小学校内  同9年
  三河台実業補習学校 麻布区三河台尋常小学校内  同11年
 
 関東大震災(大正12年)以降では、女子技芸学校が赤坂区青山高樹町に大正15年開校したのをはじめ、東京高等工学校が芝区西芝浦に、共立女子薬学専門学校が芝区芝公園に、市立京橋商業学校(都立芝商業高等学校の前身)が同じ芝公園に、御田(みた)実務専修女学校が芝区御田高等小学校内に、区立赤坂商業学校が赤坂区中之町尋常小学校内に、それぞれ昭和8年(1933)ごろまでに移転または開校した。
 昭和10年、「青年学校令」の公布により、区内に愛宕・赤羽・御田女子・三光(さんこう)・東町・筓・三河台・赤坂男子・赤坂女子の各青年学校と、芝区商業家政女学校が愛宕青年学校女子部として設置されたほか、私立の青年学校も開校した。このように区内の実業教育は、実業補習学校を除き私立学校の多いことが特色である。
 
関連資料:【学校教育関連施設】