心身障害教育の移り変わり

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 わが国の心身障害教育の起源は、明治11年(1878)の京都盲啞(もうあ)院の開設といわれる。明治13年には東京築地に楽善会訓盲院が事業をはじめている。その後、いくつかの慈善的性格をもった私塾が障害児の施設をつくったが、いずれも経営困難となり永続きしなかった。
 義務教育制度の充実により就学率が90パーセントを超えた明治30年代後半になると、小学校に就学できない障害児問題が台頭した。明治40年には、全国に38校、同45年57校と盲啞学校は急速に設置されていった。盲啞学校に対し精神薄弱児の問題もこのころから採りあげられたが、十分な施策はとられず、通常学級の中で十分な扱いを受けていなかったというのが実情であろう。
 文部省は、明治40年の師範(しはん)学校付属小学校についての訓令の中で、「心身発育不完全ナル児童ヲ教育センガタメ特殊学級ヲ設ケテコノ方法ヲ研究センコトヲ希ム」とし、通常の教育についていくことのできない障害児の特別な学級の準備がはじまった。
 盲学校・聾啞(ろうあ)学校・養護学校という障害児のための学校制度と通常の教育がおこなわれる学校の中に障害児のために特別に編制される「特殊学級」を置くという二つの障害児教育制度がはじまった。しかし、精神薄弱児・肢体不自由児・病弱児を収容する養護学校は、太平洋戦争前には、一部の官公立学校を除き、わずかな施設しかなかった。障害児教育全体にわたる積極的な方策とその実践は、太平洋戦争後の教育改革を待たなければならなかった。