戦争の終結と占領下の教育

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 昭和20年8月15日、一五年戦争は日本の敗戦で終結した。
 抜けるような青空の暑い町中を歩くと、芝の海岸から愛宕山がなんのさえぎるもののない向こうに望めた。町という町は焼け跡の連続でありその焼け跡を目的もなく歩く人々は、放心と飢えの中にあった。
 教育施設も、公私立を問わずそのほとんどが戦災の被害を受けているが、公立小学校29校のうち10校が焼失した。他は鉄筋コンクリートで焼失はまぬかれたが、完全な形で残ったものは少ない。また残っても罹災(りさい)者を収容しているために、学校としての機能は果たせなかったし、登校できる児童も少なかった。
 しかし、このような状態は長くは続かなかった。昭和20年9月、学校は授業を再開することとなり、新しい教育方針が指示され、戦時教育体制は停止された。続いて日本を占領した連合軍総司令部より、教育に関して指令が出された。
 
  1、日本教育制度の管理政策に関する指令
  2、教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する指令
  3、国家神道、神社神道に対する政府の保障・支援・保全・監督並びに公布の廃止に関する指令
  4、修身、日本歴史及び地理停止に関する指令
 
 直ちに、文部省はこれに対応する措置をとった。更に、昭和21年3月には司令部の要請によりアメリカ合衆国教育使節団が来日し、教育改革について勧告提案した。
 これに基づいて、昭和22年3月、内閣に設置された「教育刷新委員会」は、「教育基本法」と「学校教育法」を建議し、議会で制定・公布された。いわゆる六・三・三・四制の新学制の成立であり、義務教育9カ年の発足である。
 これより前、昭和22年3月、芝・麻布・赤坂の3区を統合し、「地方自治法」により東京都23特別区として発足した港区は、六・三制の義務教育の開始と施設設備の復興・建設から始めなければならなかった。