区立小中学校の教育活動

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 港区が、教育区として国の教育施策を先導的試行した事例は、昭和22年にはじまる。
 同年、文部省は学習指導要領試案により、新教育の範型を示し現場の模索に資料を提供した。本区では他区に先がけて、都教育研究指定校として、氷川小学校が学校図書館、高輪台小学校が児童化学室、朝日中学校が職業指導とそれぞれの分野で先進的な試みを研究実践した。このほか当時「桜田プラン」と高く評価された桜田小学校の社会科指導の研究、愛宕中学校のホーム・ルーム・システムは、教育界の注目を集めた。
 昭和30年代には、愛宕中学校、青山中学校が文部省及び都の研究指定校となり、産業教育の実践研究をすすめ、職業家庭科から現在の技術家庭科への指導要領改訂の基礎づくりをおこなった。
 また、文部省の示す道徳教育の指導要領への位置づけに応えて、青南小学校・北芝中学校等で「道徳の時間」の指導計画の研究、新指導要領への移行に伴う研究がすすめられた。このほか、昭和32年からはじまった「科学センター」の活動、教育機器の充実による「放送施設の活用」(鞆絵(ともえ)小学校・同35年)、「テレビ利用による学習指導法の研究」(青山小学校・同36年)、東京オリンピックに刺激された「根性を養う教育」(港中学校・同40年)などこの時代を反映した研究がおこなわれた。
 昭和36年から実施された文部省の「全国学力調査」は、小・中学生の学力の実態をとらえ、学習指導や教育課程に関する方策の改善を意図したものであった。この学力調査に参加した区内の児童・生徒の結果を分析した報告書が昭和37年に発行された。
 昭和40年代にはいると、南山小学校が文部省研究指定校として「視聴覚教材の総合利用」を手がけ、青南小学校が「学校給食の指導」、青山中学校が「理科教育における思考力の育成」をテーマに都研究指定校となった。また、43年には赤坂中学校が領域として位置づけられた「道徳」を文部省研究協力校としてとりあげていることも注目される。このほか、この時期の研究テーマをみると、小学校では「交通安全」「幼稚園と小学校教育の関連」「ひとりひとりが生き生きとした学習」など、中学校では、「能力適性に応じた指導」「学習意欲の向上」などが目立つ。昭和43年の指導要領改訂により「能力・適性に応じた指導」が喧伝されている世情を反映したものである。
 昭和50年代で注目される研究は、文部省研究開発校として御成門中学校が52年より着手した「中学校及び高等学校における教育の連携を深める教育課程の研究開発」であろう。中央教育審議会が示すゆとりと充実の学習を受け、昭和53年の指導要領改訂の先導的試行の実践研究であった。一般企業用語であった研究開発ということばが、教育界に流入したのもこのときからである。このほか、三光(さんこう)小学校では、オープン・ルームシステムをとり上げ、「壁のない教室・学び方がわかる子どもの育成」に取り組んだ。この時期の研究校の研究テーマには、「望ましい教育課程の編成」「人間性豊かな児童の育成」「ひとりひとりに充実感をもたせる指導」などがとりあげられている。
 昭和61年版『港区の教育』で、区の教育活動を概観すると、昭和60年の事業実績には、区立小学校及び中学校の連合行事として、体育大会・水泳記録会・音楽鑑賞教室、心身障害学級運動会を実施、研究協力校と研究奨励校として、赤坂中学校は、3年間の継続研究として「帰国子女等の個性能力を伸長させ、適応力を育てつつ本校における国際理解教育の充実、推進を図る」をはじめ、檜町(ひのきちょう)小学校「思いやりのある子を育てる指導」(帰国子女教育と国際理解教育)、麻布小学校「国際理解教育促進に関する研究」と国際理解教育が大きくとりあげられている。
 このほか、白金小学校「指導の最適化を図る実践研究」、青山中学校「自己教育力を高める学習の最適化」、白金幼稚園「幼児一人一人が自主的に活動できるための指導法」、芝浦小学校「児童一人一人がめあてをもって活動する体育指導のあり方」、御田(みた)小学校「児童一人一人の考えをひき出すことのできる学習指導法」、赤坂小学校「学習効果を高める指導法の研究」、城南中学校「地域・家庭との関連をはかった生徒の自主的な生活態度の育成」が列記されている。
 
関連資料:【学校教育関連施設】