区内諸学校の変遷

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[図6][図7]は、区内における国立、公立、私立の大学をはじめ短期大学・高等学校・中学校・小学校・幼稚園・保育園・各種学校等を示したものである。
 

[図6] 昭和60年度現在の区内国・公・私立学校(園)数(『みなと区政要覧』昭和60年度版)


[図7] 昭和60年度現在の区内国・公・私立学校(園)の分布(『みなと区政要覧』昭和60年度版)

 戦後より昭和20年代までのこれら諸学校の動きは、校舎の焼失、学制改革によって、大きく変わったが、昭和30年代以降は安定している。戦前より都内においても伝統のある名門校のほとんどは、従来の地で、校舎の改修、施設の充実を図り、発展していることがわかる。
 学校の変遷のおもなものをあげると、昭和25年の短期大学設置の学令により、戸板・東洋英和女学院・山脇学園・芝浦工業大学にそれぞれ短期大学が設けられた。その後、昭和38年には東海大学短期大学部も開校している。
 大学では、昭和37年北里研究所内に、薬学部を中心にした北里大学が開校した。
 一方、都心化がすすむ昭和40年代以降、私立学校の郊外移転もはじまっている。法政大学の工学部は、昭和39年に麻布より小金井市へ、日本大学付属第三高等学校は、昭和51年に赤坂より町田市へ、森村学園男女中高等学校が昭和55年、高輪より横浜市へとそれぞれ新しい校地を求めて移転した。
 このほか、本拠は区内に置いて施設の拡張のため、一部の学部を郊外に新設する大学も数多い。北里大学の医学部は、相模原市に広大な敷地を求め、大学病院を含む大キャンパスを設けている。
 区内に残った学校も次々に改築がおこなわれているが、東京女子学園高等学校のように、立体的な近代校舎に全面的に建てかえた例もある[図8]。
 

[図8] 近代的な私学校舎・東京女子学園高等学校(『東京女子学園八十年史』)

 
関連資料:【学校教育関連施設】