港区120年の教育は、明治維新より太平洋戦争、民主日本の発展と時代が大きく変化する中で、国や都の教育施策を受け、それに対応するだけではなく、つねに時代や地域社会の要求に応え、将来を広く望んで、教育区としての自負をもって歩み続けてきた。
今日、教育が社会の要求により再検討の時代にはいり、「人間性豊かな人づくり」「ゆとりと充実の教育」「生涯教育」「国際化」などが提言されているが、本区においてはことばこそ違うが、その趣旨を教育重点施策として掲げ、とくに昭和40年代より学校教育・社会教育の各分野で実践を重ねてきた。また、学校教育及び社会教育施設の近代化とその充実は、都内において高く評価され、区の施政も一貫して教育を最重点課題として取組んできた。そこには、港区の明日をになう青少年の健全な育成という地域住民の熱い期待と強い支持があったからである。
しかし、港区の現状は、再三にわたって述べてきたが、明るい材料ばかりではなく、都心区のかかえる諸問題への対策が大きな課題となっている。このことは、昭和57年度(1982年度)よりはじまった区の5本の柱(第4節第1項(1)184ページ参照)から成る基本計画にも現われている。すなわち、この基本計画こそ港区のかかえる問題点であり、どれ一つをとってもその解決には多くの努力を払わなければならないし、抜本的な打開策としては国や都という高いレベルでの施策を必要としている。
このような中にあって、昭和60年4月、区教育委員会は「港区立学校適正規模等調査会」を発足させ、区内小・中学校の規模の適正化などについての諮問をするとともに、また同年5月には、学校教育開発委員会を発足させ、区教育長名で「港区の学校教育の開発すべき方向について、その基本方針及び計画に関する重要事項を調査、検討し、港区学校教育の充実に資するため」4項目の諮問を行なっている。
関連資料:【文書】教育行政 港区立学校適正規模等調査会の報告
関連資料:【文書】教育行政 港区立学校適正規模等審議会の設置