まず学校統廃合に関する方針が示されたのは昭和61年(1986)のことだった。「港区立学校適正規模等調査会」が港区教育委員会に対して答申を提出し、幼稚園は4・5歳児ともに25~30人定員で2学級、小学校は12~18学級、中学校は12~18学級をそれぞれ適正規模とし、それ以下の規模については「統廃合」の対象として検討すべきことを示した。答申に基づき昭和62年には「港区立学校適正規模等審議会」が設置され、具体的な統廃合の検討に入っている。同年9月8日の読売新聞報道によれば、背景には港区内の「ビル化ラッシュ」による昼間人口の減少があり、人口は「毎月数百人単位で減少が続いて」いる状況にあり、15歳以下の人口についても減少傾向にあった。
審議会の中間答申によって最初に閉校になったのは、竹芝小学校である。
関連資料:【文書】教育行政 港区立学校適正規模等調査会の報告
関連資料:【文書】教育行政 港区立学校適正規模等審議会の設置
関連資料:【文書】教育行政 港区立学校適正規模等審議会の中間答申
関連資料:【文書】教育行政 区立学校適正規模等の中間答申に対する方向づけ
関連資料:【文書】教育行政 <参考>港区立小学校の統廃合の経過参考>
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区内義務教育終了年齢までの人口構成 年齢別/性別
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 区立学校幼児・児童・生徒数