竹芝小学校の統合

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 竹芝小学校の創立は明治40年(1907)、創立82年だった。昭和初めに建設され「千人以上の児童がいた」とされる校舎も、全校生徒39人となり、「ガラガラの教室だけが目立つ」状態だった(読売新聞・平成元年3月12日)。平成元年(1989)3月25日には、最後の卒業式と在校生を送り出す「竹芝小をはばたく集い」が開かれている。新聞報道によれば、「児童が急激に減りだしたのは、ここ四、五年のこと」。「家が減り、ビルが目立つようになり、転校する児童が増えた。昨年、一昨年と続けて新入生はゼロ。現在は三年生六人、四年生十五人、五年生九人、六年生九人だけ」となっていた(読売新聞・平成元年3月26日)。すでに昭和62年度(1987年度)の時点で、港区内小学校で最も在籍児童が少なく、しかも都内で唯一の「欠学年小学校」となっていた(読売新聞・昭和62年9月15日)。はばたく集いの模様を新聞は次のように報じている。
 
  (児童の代表が―引用者補注)「僕の父も姉も竹芝小の卒業生。僕もあと一年で卒業できたのにと残念です。楽しい思い出をたくさんありがとう」と述べると、ハンカチを目にあてる母親も。その後、全員でピアノの伴奏に合わせて最後の校歌を歌った。
  ……このあと児童たちは校庭に出て「希望に向けて 竹芝小学校」と書かれた色とりどりの風船に朝顔の種二粒をつけて一斉に空へ。「新しい学校でも友達をたくさん作って」「頑張れ」と先生たちに肩をたたかれていた。(読売新聞・平成元年3月26日)
 
 在校生の言葉にあるように、親子二代、さらには三代で同小学校に通学した人も少なくなく、新聞は、「学校と共に歩んできただけに、時代とはいえなくなるのは寂しい。せめて同窓会は現在の児童たち全員を含めて竹芝小として続けていきたい」という住民の言葉を記している(読売新聞・平成元年3月12日)。竹芝小学校は、隣接する芝小学校へと統合され、創立82年の歴史を閉じた。
 
関連資料:【文書】教育行政 竹芝・芝小学校の統合問題
関連資料:【文書】教育行政 竹芝小学校及び竹芝幼稚園の廃止
関連資料:【文書】教育行政 <参考>竹芝・芝小学校統合の経過
関連資料:【学校教育関連施設】