その後も区立小学校の統廃合は続いている。第2巻の巻頭コラムで取り上げた、近代小学校のルーツともいわれる鞆絵(ともえ)小学校(明治3年開校)も、平成元年(1989)には、新2~3年生がついに各5人になり、2~3年生を合わせて複式学級で運営することになり、平成2年には開校120周年を祝ったものの、平成3年に、桜田小学校・桜小学校と統合され、御成門小学校という新たな学校としてスタートすることになった。鞆絵小学校は卒業生約1万人、「戦前のソプラノ歌手、三浦環(たまき)をはじめ、日本高等学校野球連盟の牧野直隆会長、三越の市原晃会長ら多彩な顔ぶれを輩出した」(読売新聞・平成2年6月10日)。また、桜田小学校は、日本で戦後最初に「社会科」を実践した学校としても知られ、明治10年(1877)開校。桜小学校は、同年開校の南桜小学校と同40年開校の西桜小学校を統合して昭和39年(1964)に開校した、いずれも伝統校だった。
3校の小学校を統合して平成3年(1991)開校した御成門小学校はスタート時の児童数は85人だったが、平成5年には68人まで減少し、隣接する桜川小学校を閉校にして統合することになる。桜川小学校も明治6年(1873)の伝統校で、平成5年(1993)には創立120周年を迎えていた。さらに平成7年には、神明小学校(大正3年開校)を閉校にし、同じく御成門小学校へと統合した。神明小学校も、昭和14年(1939)には1200人余り、戦後のベビーブーム世代の頃に700~800人いた児童数が、閉校時には108人まで減っていた。
関連資料:【文書】教育行政 新橋・虎の門地区区立小学校・幼稚園の統廃合(平3)
関連資料:【学校教育関連施設】