閉校をめぐる動き

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 港区は江戸時代から町場として発展してきたために、統廃合となった学校は、これまで見てきたように、いずれも伝統校であり、地域住民にとって学校は大切な存在だった。それゆえ、住民たちが、必ずしもすんなりと統廃合を受け容れたわけではなかったことも付記しておきたい。特に、飯倉小学校の閉校を巡っては、区議会で紛糾することとなった。
 新聞によれば、飯倉小学校は、平成3年(1991)から区審議会答申が適正規模とした100人を下回り、平成13年からは複式学級が導入されていた。そのため、教育委員会は、「児童が適切な教育を受けられないおそれがある」として同小学校を閉校にする条例案を平成15年に区議会に提案した。それに対して「児童の父母や地元住民の大半は「少人数教育の良さにひかれて転校して来た児童もいるし、小学校がなくなれば、町自体が衰退してしまう」と、廃校に強く反発」しており(読売新聞・平成15年12月12日)、同年12月11日の区民文教常任委員会では賛否同数となり、委員長裁決で否決された。さらに翌12日、区議会本会議でも採決が行われ、ここでも賛否同数となり、区民文教常任委員会で否決された条例案が今度は議長裁決で一転可決されることとなった(朝日新聞・平成15年12月13日、12月14日)。
 この事件は、学校を閉校にすることの難しさだけでなく、江戸時代から街場として発展し、学校が地域に根差してきた港区において、いかに地元住民にとって学校が大切にされてきたのかを物語っている。そのような閉校を余儀なくした人口減少、とりわけて15歳以下の人口減少は、港区にとって、特に深刻な課題であった。
 
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