明治4年11月14日、廃藩置県により東京府の周辺(朱引外と称した)に置かれた小菅・品川の各県が廃されて、相次いで東京府に編入され、明治6年までの間に現在の23区の原形が、一応成立したのであった。
[図1] 東京府の「朱引線」(「江戸切図総図図割」より作成)
しかし、境界の変更、飛び地の処理、農地用水の利用による水争い、区域分離の不合理是正などによる管轄範囲の移動があり、また伊豆七島の移管(明治11年)、多摩三郡の移管(明治26年)があって、東京府の境界は、明治26年になって、ほぼ現在の形になった。