寺子屋・家塾は主として読書等の稽古(けいこ)であったのに対し、私塾の中には、漢字・国学・洋学など、かなり程度の高い教育を行っているものもあった。「学制」公布を迎えて、寺子屋・私家塾のなかには、私立小学校となったものも多く、私塾の中には、中等程度の学校や塾となったものも少なくない。
公立小学校の増設がはかどらず、児童の収容度の伸びなやむなかで、私立諸学校は多くの児童・生徒を引き受けて、新しい教則や指導方法を探求しながら、公立学校と協調して港区地域の教育を進めてきた。江戸時代以来の教育尊重と普及の土壌の上に、港区地域の近代教育が進展していったのである。
これらの私立学校も、時代の波にもまれて増減し、やがて減っていくが、中には、公立以上の魅力で栄え続けていったものも少なくない。
減った理由は複雑である。公立学校の収容能力の増大、公立学校の教育施設や内容の充実、高等小学校での実業的内容の加味、商業夜学校や庶民夜学校の開設、教員資格の厳しさ、教員「雇庸(こよう)」のむずかしさ、社会の経済状態の変動などが考えられる。私立学校は、経営を困難にする様々な要因を乗り越えながら、公立学校とともに港区地域の教育を支えてきていたのである。