[図1] 寺子屋の様子(『目で見る教育のあゆみ』文部省)
[図2] 港区地域の区学校
明治2年(1869)から5年ごろにかけて、港区地域には、土地の町年寄、区戸長や有識者達の努力により、区(郷(ごう))学校が設けられた[図2]。
明治6年早々東京府は、区学校に「区内幼童学所設立願」[注釈1]を提出させた。
明治2~5年にかけての港区地域の幼童学所や区学校は、「学制」公布後、公立小学校と番号のある私立小学校へと発展をみせている。
区学校においては、明治初期の寺子屋・私塾の教育内容であり、幼童学所では、「学制」による「小学教則」の形を示していることが、[図3]の設立願の中の学科・教科書や教則で知られる。
区学校の教師たちは、旧形態の指導を受けた塾主か学問をおさめた者があたり、幼童学所においても、東京府の「教員講習所」の講習を受けるに至っていない状況にあり、その指導はやはり寺子屋・私塾の域を出なかったのではなかろうか。
南海小学校の学校沿革誌によれば、その前身の幼童学所においては 「教科書ノ如キハ主意適当ノ普通書ナキヲ以テ教師協議論究シテ諸書ヨリ撰抜シ以テ教ユ」とあり、また教師4名は「校務ハ総テ共和ヲ以テ処理ス」とあり、いかにして教育効果をあげるかとの苦労と努力がしのばれる。
[図3] 区学校設立願と幼童学所設立願
関連資料:【文書】教職員 南海小学校教員の履歴
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