「学制」期の小学校の教育内容

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 文部省は明治5年(1872)8月公布の「学制」で、小学校の教科を次のように定めた。
 
  第二十七章 尋常小学ヲ分テ上下二等トス此二等ハ男女共必ス卒業スヘキモノトス
 
   下等小学教科
  一 綴字 読并盤上習字 二 習字 字形ヲ主トス 三 単語 読 四 会話 読 五 読本 解意 六 修身 解意 七 書牘 解意并盤上習字 八 文法 解意 九 算術 九々数意加減乗除但洋法ヲ用フ 十 養生法 講義 十一 地学大意 十二 窮理学大意 十三 体術 十四 唱歌当分之ヲ欠ク
   上等小学ノ教科ハ下等小学教科ノ上二左ノ条件ヲ加フ
  一 史学大意 二 幾何学大意 三 罫画大意 四 博物学大意 五 化学大意 六 生理学大意
  其他ノ形情ニ因テハ学科ヲ拡張スル為メ左ノ四科ヲ斟酌シテ教ルコトアルヘシ
  一 外国語学ノ一二 二 記簿法 三 図画 四 文体大意
    下等小学ハ六歳ヨリ九歳マテ上等小学ハ十歳ヨリ十三歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス、但事情ニヨリ一概ニ行ハレサル時ハ斟酌(シンシャク)スルモ妨ケナシトス
 
 文部省は、別に「小学教則」を用意して、明治6年に公布した[図6](旧『港区教育史』下巻678ページ資料参照)。
 

[図6] 明治6年公布の「小学教則」(文部省)の一部(東京都公文書館所蔵)

 一方、文部省は、明治5年に官立の東京師範(しはん)学校を設立[注釈2]、教師養成を急いだ。東京師範学校は、新しい教育に対応できる教師の養成とともに、教育内容や方法を確立していくための「小学教則」の考案も任務としていた。
 師範学校案の「小学教則」も、文部省の「小学教則」を追って、明治6年に出された。師範学校案の特色は、「問答」という今までにない新しい教科・方法の導入である。東京府の教師は、師範学校の卒業生から講習を受け、港区地域の公・私立小学校にも普及していったと思われる。
 文部省の「小学教則」は、綴字、習字、単語読方、単語暗誦と国語入門の科目を多くとり入れているのに対して、師範学校の「小学教則」では、読物、習字、書取、復読と、今までの寺子屋での指導内容に近づけてある。しかし、修身、養生法、地学、窮理学大意の「学制」に示された内容がなく、これに代わって「問答」という、まったく新しい教科がおかれている。問答だけをみると次のようになっている。
 
  第八級 単語図ヲ用ヰ食物ノ類ハ其味ヒ及ヒ食シ方、器財ハ組立テタル物質及ヒ用ヰ方等ヲ問答ス
  第七級 人体ノ部分、通常物及ヒ色ノ図ヲ問答ス
  第六級 形体線度図及ヒ果物図ヲ問答ス
  第五級 花鳥獣魚及ヒ虫ノ図ヲ問答ス
  第四級 地理初歩及ヒ地球儀ヲ問答ス
  第三級 日本地理書及ヒ日本地図ヲ問答ス
  第二級 日本地理書及ヒ日本地図ヲ問答ス
  第一級 万国地理書・万国地図及ヒ諳射地図等ヲ問答ス
 
 師範学校の「小学教則」は、その後改良を加えてきたが、問答と読み物の中で道徳や「国体」について指導するようになった。
 公・私立の小学校設立伺には、文部省の「小学教則」に従って授業を進めていくことを記載している。公立小学校では簡単になっているが、私立小学校での教則は、文部省に示された「教則」に従った各級別の記載になっている。これは、東京府の中小学創立大意の「当時迄有来ノ学舎ハ其儘相用教授方小学教則ニ相致可申事」によって、私立の小学校の存在を認めると同時に、教育内容や指導等が公立小学校と同等になるようにしようとしたことを示している。
 私塾の師匠たちは、「教授法改ルニ付テハ教官タルヘキ者人選ノ上師範学校へ差出シ教授見習ハセ可申事」により、明治6年に開設した「教員講習所」に通って講習を終了し、改めて「私立小学校設立願」を提出した(前節参照)。
 港区地域で、明治6年に届出た寺子屋(筆道、筆道・算術、筆道・支那学、算術の学科で届けた塾)は82、その中で、明治10年までに認可された私立小学校は68を数えた。小学校の約8割強の私立小学校が、港区地域の当初の初等教育を支えていったことがわかる。
 
関連資料:【文書】小学校教育 私立氷川学校設立
関連資料:【文書】小学校教育 私立鳥羽学校設立