[図12] 明治15年東京府の「小学教則」の一部(東京都公文書館所蔵)
[図13] 芝小学校設置開申書[注釈7](東京都公文書館所蔵)
これによると、修身を第一にあげ、読書、習字、算術を必修としている。そして、読書を読方と作文に分け、次の様に教科を定め、その程度をはっきりと示した。
初等科 修身・読書・習字・算術初歩・唱歌・体操
中等科 初等科の教科に、地理・歴史・図面・博物・物理初歩(女子に裁縫設置)
高等科 中等科の教科に、化学・幾何・生理・経済初歩(女子は家事経済大意)
また、授業日は1年32週を下らずと定め、毎週の時数と度数をきちんと決めてある。こうして、小学校の教育を内容的にきびしく引きしめようと図った。
「教育令」改正と「小学校教則綱領」制定のねらいは、次の福岡文部卿の講演により知ることができる。
初等小学ノ学期ヲ三ヶ年ニ短縮シテ必須科目ヲ簡単ニシ修身ノ課程ヲ重クシテ之ニ作法ヲ加入地理歴史等ノ授業ヲ省略シテ読書習字算術等ノ授業ヲ増加シ外国歴史等ノ如キハ小学教則中全ク之ヲ削除シ本邦歴史ヲ教授スルノ要旨ヲ知ラシメ尊王愛国ノ志気ヲ養成セシム(略)
教科の指導については、明治15年4月5日、甲第34号の布達「小学教則別紙ノ通相定メ本年五月一日ヨリ施行候条此旨布達候事(以下略)」の東京府の改正「小学教則」施行について、赤坂区では学務委員、区長の連名で次のような伺を出し認可を受けている。
公立小学算術教授方之義ニ付伺 本年府庁甲第三拾四号御達小学教則ニ基キ当区内之情況ヲ篤ト視察仕候得ハ初等科生ニ於テハ珠算ノミヲ教授致候方適当ト予定仕居候処公立赤坂青山両小学教頭等モ亦前条文儀申出候ニ付当区小学ニ於テハ初等科算術ハ珠算ノミヲ授ケ候様仕度条至急御認可相成度此段相伺候也
改正教則布達後の実施情況を学務委員が充分視察し、また赤坂、青山両校の教頭(現在の校長職)からも同一意見が出されたので、当区の公立小学校では、初等科の算術は珠算だけの指導で充分であるとの趣旨である。
この赤坂区の伺は、「但初等科算術ハ町村ノ情況云々」の項の適用と思われるが、初等科の3年間珠算だけの指導では、筆算の指導が中等科に持ちこされ、指導上の混乱も予測されるが、それをあえて珠算一本にふみ切っているのは、未だ洋算のなじみがうすく、当時の社会や教師の指導力、そして生徒の理解力の実態がかくされているものと思われる。
文部省の「小学校教則綱領」に準じた、東京府の「小学教則」の実施情況は、前記の赤坂区の初等科算術指導でもわかるように、体系的には整備されてきたが、実際の授業では、それがどれだけ活用されたかは疑問である。難解な教科書、寺子屋の流儀を脱しきれない教師の指導技術などは、学制時代と同様、教育令時代になっても、まだまだ近代的な小学教育には程遠いものであった。そのことは、明治18年4月17日から23日まで、千葉県で開催された府県連合学事協議会で、東京府より討議題目として提出された、次の「小学教則ヲ一層簡易ニ編成スルノ可否」という文書によって知ることができる。
今日ノ小学教則ハ文部卿領布スル所ノ小学校教則綱領ニ拠リ各府県土地ノ情況ヲ参酌シテ編成シタルモノナレハ固ヨリ完全ナルヘシト雖モ実際見聞スル所ニ依レハ小学校教員ニ其人ヲ得サルト教科用図書ノ不十分ナル等トニヨリ教則ノ実施甚タ難キニ過クルモノアルカ如シ将来ココニ考察スル所ナクンハ普通教育ノ普及上進ニ於テ一大妨害ヲ生スルニ至ルヘキナリ
これは当時の各小学校における授業の隘路(あいろ)をも指摘している。『文部省第一〇年報』所収の「東京府年報」によれば、区部の公立小学は初中高等科を、郡部は初等か初中等科に止まるものが多いとあり「私立ニ至テハ間々各等科ヲ具備スルモノアレトモ要スルニ初中等ニ止マリ且未タ余リ実践スルヲ得ルモノ極メテ少ナシ」(明治15年)と報じている。尋常科6カ年が、そのまま初中等科の6カ年に移行されたものの、実効のあるものになることはむずかしかったようである。
関連資料:【文書】小学校教育 芝小学校の初等・中等・高等科設置
関連資料:【学校教育関連施設】