試験法の改定[図15][図16]

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 明治11年、東京府は、「教育令」の公布に先立ち、「小学試験法」を改定して実施した。そして、試験はいままでの三つから次の五つになった。

[図15]小学試験法・明治11年(東京都公文書館所蔵)


[図16] 男子尋常科定期試験科目表(東京都公文書館所蔵)

 
  小試験  毎月末其校ニ於テ生徒一月中習学セシ課業ノ就否ヲ験スルモノ
  定期試験 毎年前後二期即チ四月十月ト定メ生徒一期中習学セシ学科ヲ試ミ等級ヲ定ムルモノ
  大試験  小学課程ヲ卒ハルトキ既ニ経歴セシ諸科ヲ試験スルモノ
  臨時試験 抜群俊秀ノ生徒ニシテ定期ヲ待ツコト能ハサルモノニ施スモノ[図17][図18]
  集合試験 定期ニ拘ハラス公立小学校優等ノ生徒ヲ会シ各校生徒ノ優劣ヲ比較スルモノ

[図17] 麻布学校臨時試験実施伺(東京都公文書館所蔵)


[図18] 御田学校臨時試験願(東京都公文書館所蔵)

 そして、総合点数が40点だとすると、21点以上が及第、20点以下は落第とする。試験を行う者は、試験を受ける生徒の教師が当たる。
 試験の期日は予め校門に掲示し、誰でもが参観することができた。そして、試験後は優劣表を学務課に届出て、その座次を校内に掲示するなど、とても厳しいものであった。各級ごとに試験内容と出題数が示してあるが、卒業のための大試験と、試験定点便覧よりその実情をみてみたい。
 
  簡易科大試験科目表
  読物 小学読本、東京府管内地誌、日本地認略、日本略史    各半葉
  作文 諸証文公私用文ノ内                   二題
  算術 四則応用暗問式、多数ノ寄算、多数ノ引算
     多数ノ寄引算、相場割、差分、平均算、利息算ノ内     十題
  手習 行草両体                      各三十字
  書取 簡易科習字数中                   凡三十字
  試験定点便覧
   読物 一個八点
   問答 一個二点
   書取 一個 尋二点 簡五点
   作文 一個八点
   算術 一問二点
   画学 一題五点
   記簿 一題五点
   手芸 一個五点
   習字 五点
 
 それぞれの定点は、正答者に与えられ、誤まる数、内容等により減点される仕組みである。各校の学校沿革誌では、「明治拾年定期試験の始(南山)」「同拾一年前期試験を行う(麻布)」などのような記録のみであってその詳細は不明である。明治15年の「小学教則」発布により、試験法を改めた「小学試業規則」を次のように定めたが、試験の種類は減ったものの依然厳しいものであった[注釈11]。
 
  1 今までの五つの試験を、毎月末の「月次試業」と、毎年4月・10月の2期に行う「定期試業」の二つにしたこと。
  2 試業は、その学校において実施するものだが、2校以上が合併して行うこともできること。
  3 試業は首坐教員が執行し、教えた教員が補助するが、各校の首坐教員が互に交流して試業を執行することができるとしたこと。
  4 問題に答えるのは、口頭か筆記かは、其の学校で決めてよいこと。
  5 各学科の優劣を判断するのには評点法によるが、各学科の定点を月次試業は60点にして、優劣により逓次(ていじ)減点していく。
  6 定期試業は、試験の60点と、月次試業の月平均の60点を加えた120点を定点とする。
  7 定期試業は全学科の合得点が、定点120点の5分3以上の時に及第とし、至らなかった者か、1学科でも0点のある者は及第することができない。
  8 月次、定期試業を及第した生徒には、其の学校の校長から証書が授与されるようになったこと。
  9 事故があって定期試業に欠席した者、定期試業に落第したけれども学習ができていると認められる者、そして学業が抜群で上級の生徒といっしょに学習する見込のある者には、臨時試業によって進級できること。
  10 月次試業の日時は、予め学務委員に報告し、定期試業は府学務課の承認を待って定め、学校は予め日数を決めて学務委員を経由して前月の15日迄に届出ること。
 
 明治15年の前期は旧「試験法」を実施し、後期は10月に定めた「小学試業規則」をもとに試験を実施した。そして、新しい「小学教則」に対応させるため、その結果をもって、尋常科6級の卒業生(1年修了者)は初等科2級(2年生に相当)に、尋常科4級卒業生(3年修了者)は中等科3級(1年生に相当)に、尋常科1級卒業生(6年修了者)は高等科2級(1年生に相当)にと、それぞれ当てはめて学級を編成したもようである。
 明治20年までの港区地域の具体的な資料は見当らないが、学校沿革誌には、次のような記載がある。直ちに実践されたのであろう。
 
  明治十六年 臨時試業ノ結果男子十名卒業(麻布学校)
  同   年 生徒種別表上申 優等生上申(南山学校)
  同 十七年 高等科臨時試験(麻布学校)
 
 また、明治16年の『東京府年報』は次のように記している。
 
  試業規則ノ施行公立小学校ニ於テハ教則ト共ニ並行シテ漸次効果ヲ呈スルニ至レトモ私立小学校ニ於テハ教則履行ノ状態ニ伴ヒ未タ観ル可キノ域ニ達セス而シテ公立小学校ノ成蹟((ママ))ヲ前年ニ比較スレハ落第ヲ減少シ及第ヲ増加セリ是レ教則ノ実施漸ク著実ナルニ基因スルモノト云ハサル可ラス
 
 芝、麻布、赤坂の各区の実情も、おそらく同じようなものであったろうと思われる。
 白金小学校の学校日誌には、次のように記されている。
 
  明治二十二年三月九日 大試験之期日本年ニ限リ自校ノ適宜ニ日数日限ヲ定メ三日ヨリ五日マテ三日間施行。七月已前ニ上申トノ様申越アリ然レトモ可成四日中ニ遂行之手順ニ運バレタシト申添アリ
  明治二十二年四月二十日(大試験) 試験巡視トシテ学務官帖佐氏来ル
  明治二十三年三月二十二日 大試験ノコト一同生徒ニ言渡ス。来ル二十五日ヨリ始ムト
  同月二十四日 本日ハ試験場掃除ニ付生徒授業ノミ休業トス
  同月二十五日 本日ヨリ大試験ヲ施行ス 但学級ハ二年級ノミ、立会委員渡辺善太郎臨席ス。
  同月二十六日 本日ハ一年級三年級ヲ試験ス。委員三浦師勝氏臨席ス。
  同月二十七日 本日ハ四年級ヲ試験ス、本日モ三浦氏臨席ス。
  明治二十四年四月十六日 大試験之節茶果弁当料ヲ区役所へ請求シ直チニ交付但一度五銭、四晩分二人四十銭
 
 大試験は右の同校の試験関係の記録では、前日の大掃除、生徒への予告、立会人の臨席、臨時手当の支給などを含めて、非常に気を配った行事であったことがうかがわれるが、このような記載も明治20年代の終わりごろからは「三月二十一日から二十三日マデ最終試験」という簡潔なものになり、明治33年からは、その記事も学校日誌より姿を消している。
 明治23年の白金小学校の記録によると、3月末の大試験後、5月6日にかけて家事繁忙とか家計の都合とかの理由で男女合わせて12名の生徒が退学している。これについて同日誌は次のように結んでいる。
 
 小学校ニ於テ施行スルトコロノ試験法ハ或ハ褒貶(ホウヘン)ノ意味ニ偏シ点数ニヨッテ毎年席次ヲ上下シ又賞与ヲ与フル等過度ニ生徒ノ神経ヲ刺衝スル弊アリ此レ独リ普通教育ノ主張ヲ誤ルノミナラス亦生徒ノ体育ヲ害スルモノナリ自今各学級ハ試験ニヨレル席順ノ上下ヲ廃スヘシ但各学級ニ優等生若干人ヲ選抜シテ以テ奨励ヲナスコトヲ妨ケサルヘシ
 
 明治5年の「学制」から始まった試験制度[図19][図20]は、明治32年まで存続するが、明治33年改正の第3次「小学校令」から、試験制度による進級が廃止され、平素の成績による考査制に切り換えられた。
 

[図19] 女子尋常科定期試験・大試験科目表(東京都公文書館所蔵)


[図20] 私立小学校の定期試業表(明治17年)と芝区・麻布区公立小学校の試験日程(東京都公文書館所蔵)