寺子屋・私塾の子供

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 明治3年(1870)、小学第一校(現鞆絵(ともえ)小)として発足した小学校の規則に、句読の受け方といっしょに、次の項目「生徒入校ノ時佩刀行厨(ハイトウコウチュウ)雨具下足ノ類銘々名札附置他ト混セサル様イタスヘキ事」がある。午前中は上級生や教師に句読を教えられ、午後には習字や数学を学習するために弁当(行厨(こうちゅう))などと共に、「佩刀(はいとう)」を携えて通学する者があったことがわかる。袴(はかま)をはき、小刀をたずさえ、『孝経』『大学』『論語』『孟子』等の書籍を風呂敷に包んで通学する姿を想像することができる。
 一方、寺子屋・私塾の場合は、明治25年に刊行された『維新前東京市私立小学校教育法及維持取調書』によって知ることができる。
 当時必用具の名称の中で、生徒用具は
 
  机・硯(スズリ)箱・筆・硯・墨・水入文鎮(チン)・手本・雙(ソウ)紙・清書雙紙・白紙、手帳、万年紙(黄色ノ漆塗(ウルシヌリ)紙ニシテ使用上今ノ石盤ト同ケレトモ墨汁ニテ認ムルナリ故ニ多ク行ハレサリシ)書物、算盤、ブンマワシ
 
とあり、同附属品に
 
  風呂敷(フロシキ)、襷(タスキ)、履(ハキ)物即チ雪踏、草履(ゾウリ)下駄、草履、木履(ポックリ)、下駄、傘、日傘(紙製ナリ、雨天傘モアリ)笠ハ竹皮菅笠等アリシモ男子ニシテ之ヲ冠ルハ炎天ニモ稀ナリトス
 
そして同じく衣服には
 
  通常ノ服(筒袖ハ之ナシ)袴ハ士ノ子弟ハ之ヲ穿(ウガ)ツモ他ハ稀ナリ、儀式ニハ男子ハ袴羽織(ハオリ)ヲ着用スルモ女子ハ袴ヲ着用セザリシ、男子ノ帯ハ角帯ニシテヘコ帯ナシ但多ク前掛ヲ施セリ、野卑ニ渉ル風ハ禁シタリ例エハ男女乱髪及三尺帯、女子ノむすび((ママ))髪等
 
と記されている。当時は、主に習字を教え、読書、算術、裁縫その他(立(たて)花及び茶の湯等)は、生徒の希望に応じて教えたようであり、親も習字の巧みになることで目的を達するというようであった。特に女子は仮名字を主としており、読みとは手習の手本の読み方指導であったという。
 男の子はたもとのある着物に角帯、そして前掛を掛け、女の子は半幅の帯を結び髪をきちんとゆって、短かめの裾に下駄か草履をはき、時には日傘などをさし、男女とも風呂敷に筆墨硯と紙や手本を包み、ぶら下げたり、腕にかかえたりして寺子屋通いをした姿を想像することができよう。