学務委員の任務

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 「教育令」では、「町村内ノ学校事務ヲ幹理((ママ))」し「児童ノ就学学校ノ設置保護等」を掌(つかさど)るために、学区取締に代えて「学務委員」を位置づけた。学区取締は府知事の任命であったのに対して、「学務委員ハ其町村人民ノ選挙タルヘシ」と、当時のアメリカの「教育委員会制」を模範としていた[図25]。

[図25] 学務委員選挙規則の一部(東京都公文書館所蔵)

 これより先、東京府は「郡区町村編制法」により、明治11年(1878)11月に15区6郡の行政区画を決し、芝・麻布・赤坂区が誕生していた。
 各区史によれば、「学務委員は、明治十二年九月発布の教育令に依って設置」され「翌十三年三月東京府は学務委員選挙規則を布達」し「五月学務委員事務章程を規定」したと記されている。
 東京府は、選挙によって学務委員が選出されるまでの対応として、校務委員を置いている。
 
 校務委員心得ノ事[注釈17]
  校務委員ハ一公立小学校ニ二名乃至十名ヲ置クモノトシ学校組合町村ニ於テ適宜之ヲ選挙シ其姓名ヲ具申シテ府庁ノ指揮ヲ受クヘシ但出納掛世話掛ヲ以テ之ニ充ツルハ適宜タルヘシ校務委員ハ校中一切ノ事務担当調理スヘシ 教員委嘱ノ主任トナリ約束書ニ記名調印スヘシ 学事調査ニ係ル左ノ諸表ヲ調制((ママ))シ之ヲ郡区役所ニ申報スヘシ
  学校明細表、所有物品表、人員及ヒ出納表(『文部省第八年報』所収「東京府年報」)
 
 3区は、明治13年にそれぞれ学務委員を選出している[注釈18]。「学務委員事務章程」による職務としては、学務委員は「学校教育及び幼稚園保育の方法」「学校設置保護の方法」「教員の勤情及び生徒学業の進否」「学校の位置及び校舎の築造を監査し、又就学の勧奨督励」「教育上公益上に防害ある時の事由具申」「学校幼稚園及び書籍館の開廃」「公立小学校教員の結約(けつやく)解約の申牒(しんちょう)並学校明細表、所有物品表、学齢表、人員及び出納表の審査とそれへの記名調印」「毎一週年学事実況の申報」を掌るべきことが規定してある。
 ついで明治15年4月には、学務委員の権限を拡張して「小学校教則の斟酌(しんしゃく)」「職員の任免黜陟(ちゅっちょく)」「給料の増減慰労等」をも管掌することになった。(『麻布区史』・『赤坂区史』) [注釈19]
 「教育令」期の学務委員は、「学制」期の学区取締と異なって、芝・麻布・赤坂区の機関の一つに過ぎなかった。また「全国ノ教育事務ハ文部卿之ヲ統摂ス」とあり、町村を小学校設置の基礎として、私立小学校があれば公立小学校を設置しなくてもよいとした。そして、住民選挙による「学務委員」に学校事務を管理させることにしたのである。
 「教育令」改正は、府知事の権限を強化している。新たに小学校の設置などに関する権限、公立学校教員と学務委員の任免権、「小学校教則」の編制施行の権限(「教育令」では、公立学校の教則は文部卿の認可だけであり、私立学校は府知事への開申とだけ定められている)が明らかにされた。明治8年の「県治条例」によって設置された府の「学務課」が、教育行政の実質的な中心となり、「教育令」改正以降、事務機構の整備や行政権限の強化に努めていくようになった。
 
関連資料:【文書】教育行政 芝区学務委員
関連資料:【文書】教育行政 麻布区学務委員
関連資料:【文書】教育行政 赤坂区学務委員
関連資料:【文書】教育行政 麻布区校務委員退任の上申
関連資料:【文書】教育行政 麻布区校務掛認可の上申
関連資料:【文書】教育行政 赤坂区校務掛認可の上申
関連資料:【文書】教育行政 芝区校務掛認可の上申
関連資料:【文書】教育行政 芝区校務掛辞職願の上申
関連資料:【文書】教育行政 芝区学務委員の主な評決事項