学年及び学期

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 「小学校令」期の、区内公立小学校の実態については、関係資料の残存しているものは数少ないが、『学校日誌』はかなり的確に当時の学校の実態を書き留めている。中でも比較的よく保管されている麻布小学校と白金小学校の日誌によって港区地域の学校の動きを探ってみたい。なお白金小学校は、明治22年6月まで、荏原郡の管理下にあり、その後芝区に編入されている。
 1年の学業の締めくくりである学年の終わりは、明治21年までは記録の上でははっきりしていないが、麻布小学校の明治20年の日誌の中には「七月二五日 試験賞状免状下付」とあり、これが1学年の境のように思われる。また、21年の同校の記録にも、7月12日から7日間大試験を施行しているので、まだ7月末が学年の終わりといってよいのではなかろうか。学年の終わりに、修業証及び卒業証授与の記事が出ている日付を追ったのが、[図26]である。
 このように明治24年までは、年1度の卒業、進級認定試業である大試験が4月に行われ、その後で証書授与を実施している。この2校の記事からわかるように、明治25年以降になって3月下旬に学年が終了し、4月始めに新学期開始という現在と同じ形をとるようになった。

[図26] 修業証及び卒業証授与の記事が出ている日付