「学制」期、「教育令」期を経て「小学校令」期に至る、およそ20年の教育の変遷はめまぐるしく、国・文部省や東京府の方針や指令を受けながら、各区の教育行政も、各学校もその対応に追われたことであろう。「学制」期は各中学区の学区取締を中心とする教育行政、「教育令」期は学務委員を中心とした教育行政のもとで、学校教育が管理されてきた。各学校は、ふえ続ける就学児への対応に苦しみながら、「学制」期は主席の訓導(くんどう)を中心に訓導・授業生が協力して学校を運営し、「教育令」期・特に明治15年ごろから、訓導を兼ねた校長を中心に訓導や授業生が力を合わせて各学校の管理・運営にあたっていた。現港区の創立110年を経た13校の『沿革誌』は、その対応の苦しみとともに、教育充実への意欲に満ちていたことをそれぞれ記録している。
明治23年の「小学校令」の改正、「教育勅語」の渙発(かんぱつ)、明治24年の「小学校教則大綱」の明示によって、近代教育はほぼ確立するとともに、その実現のために、学校に対する管理は更にきめ細かくなっていった。