教員政策と実際

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 明治14年11月に、時の文部卿福岡孝弟は、地方学務官会議において次のように述べている。
 
  教員品行検定規則ヲ定メ右等苟モ不正ノ行為アル者及性行暴戻言論危激ニシテ生徒ノ教導ヲ誤ルノ恐アルノ類ハ一切公私諸学校ノ教員タルコトヲ得セシメサルニ至リ又公立学校ノ教員ハ商売営業講談演説ヲ為スコトヲ得サラシム殊ニ小学校教員ノ為ニハ当省本年第十九号達ヲ以テ公私小学校教員心得ヲ頒布シテ之ヲ訓戒シ教員ノ本分ヲ誤ラサラシム(略)
 
 文部省は、明治14年6月に達19号で「小学校教員心得」を府に達し、ついで7月には達20号をもって、教員の品行を検定する基準としての「学校教員品行検定規則」を達した(第4節第1項(2)267ページ参照)。教員は、愛国・忠孝を旨とする道徳教育を重んじ、自ら生徒の模範となり、徳性・善行で感化し、思想的には、偏らないよう求めている。
 港区地域における各学校の学校沿革誌には、これらの記録は認められていない。また『文部省年報』所収の「東京府年報」は次のように記載している。
 
  本年ニ在リテハ改正教育令ニ遵ヒ凡百ノ学事釐革(リカク)スル所多ク且実践ノ日浅キヲ以テ多少ノ繁雑ヲ来セシモノアルモ漸次其緒ニ就キ其歩ヲ進ムルニ至ル  (明治15年)
  二月学校生徒ノ学術演説ニ関スル取締ノ件ヲ郡区長学務委員に内達ス
  三月学校生徒ノ政治演説会ニ関スル取締ノ件ヲ郡区長学務委員ニ内達ス
  教員品行検定規則ハ本年八月ヨリノ実施ニ係リ未タ其影響ヲ知ルニ由ナシ  (明治16年)
 教員品行検定規則ニ就キテモ未タ之ニ抵触(テイショク)セシモノナシ  (明治17年)
 
明治17年7月に東京府は、「実用上ノ問題ヨリ推シテ其学術ヲ考究スル」という、当時の教授法改良策を受けた、文部省からの「小学校ノ教員ヲ益々改良スル」との明治16年の達しにより、「小学督業規程及小学校教員講習規則」を制定公布した。
 
     小学督業規程
  第一条 小学督業ハ東京府師範学校長ノ監督ニ属シ同校教諭ヲ以テ之ニ充ツ其職務ノ要項左ノ如シ
   一 小学校教員講習規則ニ拠リ教育学学校管理法等須要ノ学科ヲ講習セシムル事
  一 小学校ヲ巡視シ其教授及管理上ノ諸件ヲ監督スル事
  第二条 小学督業ハ前条ノ職務ヲ行フニ必要ナル事件ハ郡区長戸長学務委員ニ協議スルコトヲ得
  第三条 小学督業ハ講習期限中一ヶ月毎ニ講習員ノ勤怠(キンタイ)表ヲ作リ師範学校長ヲ経由シテ当庁ニ上申スヘシ
  第四条 小学督業ハ三ヶ月毎ニ功程表ヲ作り講習又ハ巡視ノ状況等ヲ記載シ師範学校長ヲ経由シテ当庁ニ上申スヘシ
 
 これによって、港区地域の公立小学校における、小学督業の巡視が次のように実施された。
 
    御届
  昨日ニ而日本橋区諸学校巡視相済ミ候ニ付今日ヨリ左ノ日割ヲ以テ芝区諸小学校ヲ巡視可致候間此段予免御届申上候以上
   明治十七年八月卅日       東京府師範学校三等教諭
                        小学督業 岡   任 印
  東京府学務課 御中
    芝区
  芝小学  八月卅日     南海小学  九月三日
  桜田小学 同 同      桜川小学  同 同
  鞆絵小学 九月一日     桜田女小学 同 同
  御田小学 同 二日
    御届 (芝区と同文なので麻布区・赤坂区 略)
    麻布区
  麻布小学 九月十一日    南山小学  九月十三日
  飯倉小学 同 十二日
    赤坂区
  赤坂小学 九月十五日    青山小学  九月十六日
  前書之通届出候ニ付奥印候也
  明治十七年九月十一日 東京府師範学校長 津田 清長印
 
 その実情は記録が見当たらず不明であるが、府師範学校教諭が東京師範学校において、1年間の授業法指導の講習を得て「小学督業」となったことから、新指導法の導入に大きな役割を果たしたものと思われる。
 これに伴って、「小学校教員講習規則」により、教員の資質改善のための現職教育が小学督業によって進められた。このことを『文部省年報』所収の「東京府年報」は次のように述べている。
 
 十一月第一回ノ講習ヲ本校(府師範学校)ニ開キ先ツ十五区各公立小学校首座教員ヲ招集シテ教育学々校管理法物理学化学等ノ学科ヲ講習セシム其効果如何(イカン)ニ至リテハ日尚浅キヲ以テ未タ詳悉(ショウシツ)スルコト能(アタ)ハスト雖(イエド)モ尚進テ一般教員ニ及ホスニ至ラハ府下教育ノ体面ヲ改進スル蓋(ケダ)シ難キニアラサルヘシ(明治17年)
 小学校教員ヲ招集シテ教員講習所ヲ開設シ本年中已ニ五回ノ講習ヲ了セリ其学科ハ教育学学校管理法物理学化学体操等ナリ(明治18年)
 
 東京府は、校長、首座の訓導から講習を始め、漸次一般教員に及ぼす方法をとって、教育方法の確立に努めていった。
 しかし、港区地域においての記録はまだ見当たらず、ただ南山小学校の沿革誌に「東京府師範学校一等教諭高崎勝太郎督業トナルノ報告アリ」とあり、各公立小学校にその趣旨を徹底させたものと思われる。
 近代教育の確立に向けて、当時の教員たちが、教育内容や指導方法など、資質の向上のために努力していた様子をうかがうことができる[注釈7]。