前述の2園に続いて、明治20年には、赤坂区溜池榎坂町に、私立榎坂幼稚園が設立された[注釈3]。幼児定員は20名と小規模園であり、保育には、設立者である湯浅治郎の妻である、はつが1名であたった。はつは徳富蘇峰、芦花兄弟の姉である。慶応義塾や同志社で英学を学び、先述の桜井女学校において教員をつとめている。そのため、保育は、キリスト教主義のもとに行われたもようである。保育料は月50銭であったが、これは当時の私立幼稚園の保育料の半額に相当しており、その収入のほとんどを、図書器具費や営繕費などにあてている。したがって保母は無給であった。そのような点からも、キリスト教的な慈善を思わせるが、やがて湯浅家の移転に伴い閉園となり長続きしなかった。
明治前期の港区区域の幼稚園教育は、私立幼稚園によって発足し開拓され、特に芝麻布共立幼稚園の保育の要領は、その後に大きな影響を与えた(310ページ参照)。
関連資料:【文書】幼児教育 私立榎坂幼稚園の設置