女子の裁縫科

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 小学校教育で、産業教育に結びつくものは裁縫科であり、明治12年(1879)公布の「教育令」第3条に「殊ニ女子ノ為ニハ裁縫ノ科ヲ設クヘシ」と示された[注釈2]。しかし、その内容や程度は示されなかった。はっきり位置づけられたのは、明治13年の「教育令」改正第23条に基づいて、翌14年に達せられた「小学校教則綱領」によってである。これには、中等科・高等科に[図4]のように示されている。
 農業・工業・商業の選択は、地域の実情に合わせ、地域や学校できめることができ、女子は裁縫とともに家事経済を加えることができるなど、弾力性をもたせている。
 また福岡文部卿は、明治14年の地方長官合同席上で、次のように演述している。
 
  (前略)土地ノ情況ニ随ヒ農工商ノ学科ヲ加へ、女子ノ為ニハ裁縫ノ外家事経済ヲ加フル等ニシテ、勉メテ就学ニ便ニシテ実用ニ適シ、純良ノ教育ヲ授クルヲ旨トスルニアリ(後略)
 

[図4] 「小学校教則綱領」に示された女子の裁縫科

 
 このことは、次の「小学校令」においても、高等小学校の学科に、女児の裁縫と「土地ノ情況ニ因テハ英語・農業・手工・商業ノ一科若クハ二科ヲ加フルコト」ができるとしていることにつながっている。