普通教育に次々と加わってくる教科の指導に、専門の職員を整えることは、教員の不足するなかで困難なことであった。明治14年に達せられた「教員免許状授与方心得」は、教員の資質向上をねらった厳しいものであったにもかかわらず、特に、唱歌・体操・裁縫・家事経済・英語などや、土地の事情によって加えることのできる農業・工業・商業などの科目については、検定しなくてもよく、また、これを教える教員を置くこともできるようにし、実施しやすくしている。
港区地域の公立学校では、裁縫の実施にあたって「裁縫教員」を「雇傭(こよう)」したことが、明治11年の南山学校 の学校沿革誌に記載されたり、東京都公文書館の書類にものこされている。