明治初期の中学校

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 明治初期における東京府の公立中学校は、本郷区元町玉藻小学校を借用して発足した第一中学(明治11年設立)と、東京府庁内に設けられた第二中学(明治12年設立)が、明治14年(1881)に合併して東京府中学となり、明治20年の中学校令によって東京府尋常(じんじょう)中学校(現都立日比谷高校の前身)と改称した1校だけであった。
 明治初期の私塾には、諸学科兼習の中等教育にふさわしいものがあり、『文部省第七年報』には「明治十二年中学校一覧表」が載せてある。これには、府の第一、第二中学とともに15区内に303の校名があり、その中に芝区51校、麻布区12校、赤坂区9校の計72校が記載され、東京府の約4分の1の私立の中学校(現在の中学校・高等学校に相当する学校)が港区地域に存在していた。しかし、これらはほとんど変則の中学校であった(旧『港区教育史』下巻687ページ資料参照)。
 女子の私立学校も、ほとんど中等程度の学校であったが、「第2項 女子教育の開花」でまとめて述べることとした。