明治12年に港区地域にあった、72の私立中学校のほとんどは、設立時の校名と教師・生徒数のみで、その後の記録は見当たらないが、明治初期に中等程度の諸学校として設立され、今日まで私立中・高等学校として存続している学校も少なくない。私立の麻布中・高等学校、芝中・高等学校、正則中・高等学校、高輪学園中・高等学校などがそれである。
■東洋英和学校
麻布尋常中学校(私立麻布中学校・高等学校)の前身である。明治6年に来日したカナダメソジスト教会は、明治17年3月、麻布区鳥居坂に東洋英和学校を[注釈2]、9月に東洋英和女学校(後述)を創設した。東洋英和学校は、専門教育(神学と英文学)と中等教育をほどこしていたが、学校統合の問題がおこり、変遷の後専門教育は青山学院に吸収され、中等教育は江原素六によって、明治28年3月に麻布尋常中学校として再生認可された。明治後期にまたがるが、その関係が沿革誌には次のように記されている。
当麻布区ハ土地高燥ニシテ四囲閑静絡繹(ラクエキ)ノ街衢(ガイク)ヲ距ルコト遠ク風俗亦自ラ紊(ミダ)レザルモノアルヲ以テ学生勉学ノ為ニ図ルニ其便蓋(ケダ)シ之ニ過グルモノナキニモ拘ハラズ従来教育機関ノ準備区内ニ全カラザルカ故ニ高等小学校以上ノ教育ヲ受ケントスルモノ為ニ不便ヲ感ズルノ日久シカリキ先ニ区内東洋英和学校アリ設立以来既ニ十有余年校舎器械ノ設備充分ナルモノアリシヲ便トシ同志相謀(ハカ)リ去ル明治二七年中同校ノ一部ヲ区画シ始メテ尋常中学科ヲ置キシニ成績頗ル有望ナリシヲ以テ同年九月尋常中学ニ必要ナル部分ヲ譲リ受ケ改メテ尋常中学部ト称シ尋テ明治二八年三月二三日文部省令第十九号ニ準拠シ東京府ノ認可ヲ受ケ始メテ之ヲ世ニ発表スルニ及ベリ爾後校務漸ク整理ニ赴ケルヲ以テ同年七月一日更ニ麻布尋常中学ト改称ス
明治33年9月に、ミッションから分離した独立校となった。
■浄土宗学本校
私立芝中学校・高等学校の前身である。明治20年7月浄土宗第一教区宗学教校として設立され、明治32年の「中学校令」に準拠して、従来の組織を改正して、高等普通教育を行う中学校になった。
明治20年の私立学校設立願書は次のように記載している。
設置ノ目的
第一条 本校ハ浄土宗内ノ僧侶ヲ教育セン為高等ノ仏教学及必須ノ普通学ヲ教授スルヲ目的トス
第二条 本校ノ学科ヲ分テ高等本科高等予科ノ二トス予科ハ本科ニ進ム予備トシ普通学ヲ教授ス本科ハ仏教専門ヲ教授シ其蘊奥(ウンオウ)ヲ攻究セシム
位置及敷地建物
本校ハ仮リニ芝公園地七十三号ニ設ク 敷地建物ハ別紙図面ノ通リ(略)
名称 本校ハ浄土宗学本校ト称ス
明治期に東京で設立された、仏教系の中学校は宗派を離れたが、芝中学校は浄土宗に属して設けられている。
■正則予備校
正則尋常中学校(私立正則中学校・高等学校)の前身である。正則予備校は、明治22年9月、芝公園第9号地所在の安養院大書院に設立された。設立の趣旨として、将来大学校の高等教育を受けようとする者に「善良なる予備教育を授け」ることと、「日本人をして其真面目(そのしんめんぼく)を顕はしめん」ことの2点をあげている。翌23年に、芝公園第24号地2番に移転した(『七十周年記念誌』)。
明治31年12月に財団法人組織にし、次の定款(ていかん)を定めている。
第一条 本校ハ他日高等ノ学校ニ入ラント欲シ又ハ実業ニ就カントスル者ニ中等ノ教育ヲ施スヲ以テ目的トス
第二条 本校ヲ正則尋常中学校ト称ス
第三条 本校ハ校舎及事務所ヲ東京市芝区芝公園第二十四号地ニ置ク
(他条 略)
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【文書】私立・諸学校 正則予備校付属尋常小学校