高等教育の諸学校

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 港区地域には、明治前期から開設されていた高等教育・専門教育の私立学校が少なくない。たとえば、三田の「慶応義塾」、芝の「攻玉社(こうぎょくしゃ)」、白金の「明治学院」、愛宕の「成医会講習所」、芝の「曹洞宗大学林」、高輪の「高山歯科医学院」、麻布の「学農社」、麻布の「麻布獣医講習所」、麻布の「東洋英和学校」、青山の「東京英和学校」などである。多くは現在も存続して大学となっているものの前身である。
 また、明治初期の英学塾から発達した立教、青山学院、明治学院などは、日本開国の報をきいて宣教師の派遣を決議した、アメリカのプロテストタント各派の監督教会によって設立された。
 
■慶應義塾[注釈3]
 福澤諭吉が江戸鉄砲洲の奥平藩邸に蘭学(らんがく)塾を開いたのは、安政5年(1858)であり、蘭学では時勢に合わないことを知り苦労して英学に転じ、慶応4年(1868)に、芝新銭座にあった有馬家の中屋敷に英学塾を開設し慶応義塾と名づけた。三田に定着したのは明治4年(1871)の春からである。
 東京府で最古の英学塾であったが変則であったので、明治5年、太田資美の出資によって、外人教師カローザスを雇い入れ、学科の仕組をアメリカのカレッジ風にあらためるなど、はやくも近代的な学校体制になった。
 「学制」による開学願書は、明治6年4月、次のように提出されている。
 
   私学開業願
  第一条 学校位置 東京府管下第二大区九小区三田二丁目十三番地
  第二条 学校費用概略 一ヶ年凡金八千円
  第三条 教師履歴
             東京府管下商 福沢諭吉 三十八歳四ヶ月
  安政元年ヨリ大坂緒方洪菴塾ニテ蘭学ヲ学ヒ同五午年東京ニ来リ辞書ニ拠テ自ラ英書ヲ読ミ文久二酉年ノ頃ヨリ少年ニ英書ヲ教へ其後明治元年戊辰三月社ヲ結テ今ノ慶応義塾ノ社中ト為ル
             亜米利加合衆国人 カロザス  三十二歳
  大学校科目卒業神学卒業 但シ右人ハ明治五年壬申六月ヨリ華族太田資美官許ノ上雇入当学校ニテ教授罷在候者也
   (他日本人教師一四名及第四条教師給料 略)
  第五条 学科 英文学 算術
  教則 教授ノ法ヲ正則ト変則ト二様ニ分チ其規則左ノ如シ
   (正則科・変則科及び塾則 略)
  右之通開業仕度此段奉願候也     第二大区九小区三田二丁目十三番地
                     慶応義塾社頭 福沢 諭吉 印
    明治六年四月十二日
  東京府御庁
 
 当初の教員は、外人教師を含めて16名、生徒は男子302人であった。
 明治16年の東京府布達甲第50号の私立学校開申書における、設立の目的に「英文読書並ニ算術ヲ授ケ専ラ近時ノ文明ヲ講ス」とあり、また多くの外国人教師を雇って、欧米の新しい文化を摂取(せっしゅ)することに努めたことが特徴づけられる。
 福澤諭吉が慶応義塾の開業願を出したのが、明治6年4月であるが、その年の10月に次のような医科開業願が別に提出されている。
 
    医科開業願
      以書付申上候
  私共社中慶応義塾教則等之義者当明治六年四月御届申上候ニ御座候処此度社中申合セ本則之傍ラ医学之科ヲサシ加へ候尤本塾之科目ヲ増候而己ニ而塾則を改革イタシ候義ニハ無之御座候得共教師之履歴并ニ別科教授之書名等左之通リ御届申上候也
  医科教師 東京府管下平民 松山棟菴 三十三年十一ヶ月
      (履歴・医学科内容 略)
  右之通ニ而塾則等ハ固ヨリ本塾之通ニ御座候   福沢 諭吉
   明治六年十月                松山 棟菴
 
 慶応義塾医科は、当初教員7名、生徒86名で出発したが、明治13年「右本年六月限リ廃止候ニ付此段御届申上候也」と廃校届が出されている。その実績は不明であるが、教員履歴より松山棟菴(とうあん)は横浜に在留したアメリカ人医師に師事しており、英米医学であったことが知られる。
 明治23年に大学部を設け、理財、法律、文学の3科を置いたが、各科の主任教授はすべてアメリカ人であった。なお、現医学部は北里柴三郎の構想により、大正5年(1916)12月設立認可されている。
 
■明治学院[注釈4]
 『明治学院五十年史』によると、同学院は明治10年(1877)に築地居留地に創設された東京一致神学校が基であるとしている。これは日本基督一致教会の教育機関であった。
 長老教会のヘボンは、明治13年に築地大学校を設け、ワイコフは翌年に先志学校を横浜に開いたが、明治16年に合併して「東京一致英和学校」となり、その予科の学校として翌17年神田に英和予備校を開校した。
 この東京一致神学校・東京一致英和学校・同予備校が合併し、明治20年に明治学院と名を改め、荏原(えばら)郡白金村に移った、その年1月11日に提出された私立学校設置願には、次のように記載されている。
 
  設置之目的
  本院ヲ分テ普通学部及専門学部トス而シテ普通学部ヲ予備科及ビ本科ニ分チ英語ヲ以テ博ク普通ノ学科ヲ授ケ本院ノ専門学部又ハ官立ノ諸専門学校ニ入ルノ準備ヲナサシム 其学科課程ハ倫理 和漢文 英語 数学 地理 動物 植物 生理 物理 化学 地質論理 心理 史学 簿記 理財 星学 唱歌 図画 体操トス 専門学部ニ英文学 史学 理財学 高等数学 物理学 心理学 論理学 倫理学 神学 ラテン語 ギリシヤ語及ヘブル語ノ諸学科ヲ置キ以テ各学科専門ノ業ヲ授ケ特別ニ学士教師伝導士ヲ養成ス
  名称  本院ヲ名テ明治学院ト称ス
  位置  本院ハ府下荏原郡白金村第六百四十七番地ニ設ク
 
 明治学院は、明治36年専門学校の認定を受け、昭和24年に大学になった。
 
■成医会講習所
 東京慈恵医院医学校(東京慈恵会医院専門学校、東京慈恵会医科大学)の前身である。明治14年、京橋区鎗屋町に成医会が結社され、同年5月に成医会講習所が設立された。その設立日が、現大学の創立記念日になっている。この講習所は、大学の年表によると、明治15年に芝公園5号地に創設された海軍軍医学舎と教授陣が同じであったので、これと合併している(『東京慈恵医科大学百年史』)。
 慈恵会病院は、明治6年に第二大区四小区愛宕町2丁目8番地に貧しい人々の施療のため建てられた東京府病院が、明治14年7月に廃された時、そのあとを借り受けて翌15年8月に開院された有志共立東京病院が、明治20年4月に東京慈恵医院と改称されたものである。
 成医会講習所は、愛宕町に移転し、東京慈恵医院医学校として明治24年に設立が許可された。医学校規則には「本校ハ専ラ医学生徒ヲ養成スル所トス」とあり、学科として物理学・化学のほかに解剖学・生理学・薬物学の基礎医学・内科学・外科学・産科学・耳科学・鼻咽喉科学や実際外科・臨床講義等の医師の専門学科が教授されている。
 明治25年5月の規則改定届出には、次のように記されている。
 
  東京慈恵医院医学校
  所在地 芝区愛宕町二丁目十四番地
  校地総坪数及所有者 四百六十二坪八合八勺 三菱会社
  校舎総坪数及所有者 二百二十七坪(二階)医学博士 高木兼寛
  生徒定員  三百名
  付属校舎
  所在地 芝区愛宕町二丁目十三番地二号
  校地所有者 東京慈恵医院
  校舎坪数 百八十四坪
 
 明治40年7月、東京慈恵会設立にともない、私立東京慈恵会医院医学専門学校となり、大正10年(1921)10月に「東京慈恵会医科大学」となった。
 
■曹洞宗大学林[注釈5]
 いまの駒沢大学の前身である。芝青松寺境内に設けた獅子窟学寮が、明治8年(1875)、曹洞宗専門学校となり、いったん駒込吉祥寺に移って学舎旃檀林と合併した後、明治15年に麻布日ケ窪に移転し、曹洞宗大学林として開校したものである。
 明治維新により神仏分離令が出され、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が各地で行われるようになり、寺院は宗教的にも経済的にも無力なものになった。しかし、当時多くの国民の宗教は仏教であり、明治5年に各派代表は政府に嘆願し、仏教は復旧するが、寺院の力はなかなか回復しなかった。仏教各派は宗議会を持つなど宗門近代化を図り、これに大きな役割を果たしたのが学校教育であった。駒沢大学の沿革の表は、次のように記録している。
 
  文禄一年(一五九二)江戸駿河台吉祥寺に学舎を設け、旃檀林と称する。
  明暦三年(一六五七)江戸大火により旃檀林、駒込に移転
  嘉永五年(一八五二)芝、青松寺に学舎を設け、獅子窟学寮と称す。
  明治八年(一八七五)青松獅子窟学寮内に曹洞宗専門学校を開設
  明治九年(一八七六)獅子窟、駒込吉祥寺に移転、旃檀林と合併
  明治十五年(一八八二)麻布日ヶ窪に校地購入移転し、曹洞宗大学林本校と改称
  大正二年(一九一三)現在の地、駒沢に校舎竣工移転
 
■東京英和学校[注釈6]
 メソジスト監督教会は、明治11年東京築地1丁目2番地に耕教学舎を設立した。そして明治14年4月に耕教学舎を引き継いで、京橋区銀座3丁目に東京英学校と改称して開校した。そして同年12月に麻布区新堀町8番地に移転したが、
 
  麻布区新堀町八番地
  東京英学校
  右ハ今般都合ニヨリ京橋区築地二丁目十三番地へ移転致候ニ付此段御届申上候也
       (明治十五年一月―五月『私立各種学校書類』)
 
と、また築地にもどっている。
 一方、明治12年横浜に開設された、メソジスト監督教会の教師養成機関である美以神学校は、明治15年に東京に移り、東京英学校と合同して、校名を東京英和学校と改め、赤坂区青山南町7丁目1番地の土地3万坪を購入して移転した。そして明治27年青山学院と改称した(『青山学院五十年史』)。
 明治17年丙第23号布達にもとづく教則改正認可願によると
 
  設置ノ目的
  一本校設置ノ目的ハ英語、漢文、独乙語、地理、歴史、博物、生理、数学、化学、地質、天文、論理、修身、経済、政治等ノ譜学科ヲ教授スルニアリ
  一教授法ノ要旨(要旨説明略)
   英語、読方、訳読、文法、作文、会話、習字、演説会、修辞、英文学
 
となっており、英文学については「英文学ハ本校ノ学科中尤モ緊要ナルモノ」とあり、この学校の特質を示している。
 なお、赤坂区青山南町7丁目は、明治22年5月の15区設立以後における境域変更により、南豊島郡渋谷村に編入された。
 

[図1] 港区地域の諸学校分布図・明治前期

 
関連資料:【文書】私立・諸学校 慶応義塾
関連資料:【文書】私立・諸学校 明治学院
関連資料:【文書】私立・諸学校 東京慈恵会医科大学
関連資料:【文書】私立・諸学校 曹洞宗高等中学林
関連資料:【文書】私立・諸学校 東京英学校
関連資料:【学校教育関連施設】