手芸・裁縫の女学校

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 女子教育のもつ手芸・裁縫が、教育内容の高度化とともに再び脚光を浴びるようになった。
 明治22年に、芝区芝公園無号紅葉山能楽堂前に東京女子手芸学校が設立された。そして、「主トシテ和洋裁縫編物刺繍等ノ手芸ヲ授ケ」ることと、「傍ヲ普通学ヲ授ク」ことがその設置目的となっていた。
 このほかに、芝区烏森町に婦人洋服裁縫女学校が明治20年に設立され、翌21年には麻布区簞笥町に東京裁縫館、赤坂区新坂町に哲女館が設けられている。いずれも裁縫塾より前進したもので、英語その他の普通学が加えられたものである。このうちの哲女館は、内外の貴婦人が教師として英語・裁縫・編物・諸礼・料理・音楽などの教授に当たったといわれる(都史紀要『東京の女子教育』)。
 『都史紀要』の明治3年から22年までの「東京の女子教育施設創業年表」にあげられている女子諸学校と所在地は、次のようである[注釈14]。
 
  明治五年
   水交女塾      第二大区二小区桜田本郷町一一
   開拓使女学校    第二大区芝山内
  明治七年
   女子小学校     第二大区麻布新堀町
  明治九年
   河村女校      第二大区七小区芝森元町二ノ一一
   共義女学校     第二大区芝西久保巴町三六
  明治一〇年
   恒徳女学校     第二大区芝田村町七
  明治一七年
   東洋英和女学校   麻布区東鳥居坂町一四
  明治一八年
   頌栄女学校     芝区二本榎二ノ三四
  明治二〇年
   普連土女学校    麻布区本村町二一七
   香蘭女学校     麻布区麻布永坂町一
   婦人洋服裁縫女学校 芝区烏森町一
  明治二一年
   東京裁縫館     麻布区簞笥町
  明治二二年
   東京女子手芸学校  芝区芝公園内